戦時中の鉄道は“女性が大活躍”…戦後なぜ消えた? 彼女らを追いだした「民主化の象徴」とは
戦後の「女性進出」を阻んだのは「民主化の象徴」!?
前出の埼玉県史資料集にも同年8月、国鉄大宮工機部婦人会が「わたくしどもは今回生産増強習慣を実施して本質的に男女同権のもとに着々実績をあげている」「日本再建の根本の力は女子にあると思います」として解雇反対を訴えたことが記されています。戦時中の奮闘だけでなく、「戦後復興においても男女同権で進めている」という主張は、興味深いところです。
こうした新時代ならではの「男女同権」の訴えは、皮肉にも民主化の象徴のひとつである「労働基準法」によって退潮していきます。1947(昭和22)年に制定された同法が、女性の妊娠・出産機能に有害な業務を規制する「女子保護規定」として「深夜労働」や「休日労働」を制限したのです。
保護規定には適用が除外される職種として、看護婦、電話交換手などがありました。運輸省の外郭団体である交通協力会が1948(昭和23)年に発行した『労働基準法と鉄道』には、国鉄労組婦人部の猛烈な反対運動の結果、鉄道電話関係の女子従業員、国鉄の寮や合宿所勤務者については「除外が認められた」とあります。しかしそれ以外の職種は免れられず、泊まり勤務を中心とする鉄道現業から女性の姿は消えていったのです。
女性が鉄道現場に戻るのは、それから半世紀、1999(平成11)年の労働基準法改正で女子保護規定が撤廃されてからのことでした。
【了】
Writer: 枝久保達也(鉄道ライター・都市交通史研究家)
1982年、埼玉県生まれ。東京地下鉄(東京メトロ)で広報、マーケティング・リサーチ業務などを担当し、2017年に退職。鉄道ジャーナリストとして執筆活動とメディア対応を行う傍ら、都市交通史研究家として首都圏を中心とした鉄道史を研究する。著書『戦時下の地下鉄 新橋駅幻のホームと帝都高速度交通営団』(2021年 青弓社)で第47回交通図書賞歴史部門受賞。Twitter:@semakixxx
コメント