「世界一の戦闘機エースパイロット」驚異の記録 ドイツ空軍“伝説のエリート部隊”の盛衰

1対1の戦いをしない米軍機

 第52戦闘航空団の士気は常に高く保たれていました。しかし旧ソ連軍は英米の武器供与と自国での航空機生産という物量でドイツ空軍を圧倒していきます。戦争末期には第52戦闘航空団も日本と同様、短期の飛行訓練を受けただけの未熟な新人パイロットが前線に送り込まれるようになり、消耗していきます。

 1944(昭和19)年には赤軍の反攻でドイツ軍が撤退を始めて、第52戦闘航空団もルーマニアに後退します。ルーマニアでは連合軍のB-17爆撃機を迎撃し、ここで護衛する多数の米軍新鋭戦闘機、P-51マスタングと空中戦を繰り広げました。

 しかし、米軍機は個々の格闘戦を避けて集団で対峙する戦法をとったので、ドイツ空軍の撃墜数は激減しました。米軍機相手でも熟練パイロットの消耗と物量で格闘戦に持ち込むのが困難になったのです。

 それでも第52戦闘航空団は残った熟練パイロットの技量で補いながら、すでに旧式化したBf-109でP-51を相手に戦っていました。

 そしてドイツは降伏し、ポーランドにいた第52戦闘航空団の将兵たちは大半が旧ソ連軍の捕虜になり、シベリアで長い捕虜生活を送りました。

 世界一のエースパイロットであるハルトマンも捕虜となり、その抑留生活は10年半に及びました。終戦前にドイツ本土防空戦の第6戦闘航空団司令へ異動していたバルクホルンは米軍の捕虜になっています。バルクホルンは9月に釈放されましたが、対照的に旧ソ連の捕虜になったハルトマンは10年半もの抑留生活を送りました。そして、2人とも旧西ドイツで空軍の将校として戦後を送りました。

【了】

【肖像】これが「世界一の戦闘機エースパイロット」ハルトマンと愛機です(写真)

Writer: 時実雅信(軍事ライター、編集者、翻訳家)

軍事雑誌や書籍の編集。日本海軍、欧米海軍の艦艇や軍用機、戦史の記事を執筆するとともに、ニュートン・ミリタリーシリーズで、アメリカ空軍戦闘機。F-22ラプター、F-35ライトニングⅡの翻訳本がある。

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