飛行機の“窓”、よく見ると必ず…! そこにある「世界初のジェット旅客機」が残した教訓とは 初飛行から75周年

今から約75年前に初飛行した世界で初めてのジェット旅客機デ・ハビランド DH.106「コメット」。この機体は華々しい記録と共に、痛ましい事故による重要な教訓を残した機体としても記憶されています。

最新技術の粋を集めた機体が相次いで墜落…

 約75年前の1949年7月27日、世界で初めてのジェット旅客機デ・ハビランド DH.106「コメット」が初飛行しました。

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DH.106「コメット」の試作初号機(画像:帝国戦争博物館/IWM)。

 同機は旅客機の歴史において大きな足跡を残すことになりますが、痛ましい事故も起こし、ジェット機に関する基本的な安全対策の指針にもなりました。

「コメット」は1952年5月に商業運航を開始します。上空で機内の気圧を外部より高めて空気の濃さを維持する「与圧キャビン」など、当時としては最新鋭の技術を駆使していました。通常ならば人間が呼吸もできない、空気抵抗の低い高高度を飛び、燃料を節約しつつ高速で飛行するという運航の嚆矢となりました。

 しかし、就航からわずか2年足らずの1953年5月2日、英国海外航空(BOAC、現ブリティッシュ・エアウェイズ)781便が墜落し、35人の乗員乗客全員の命が失われる事故が発生。このときは悪天候による墜落だと結論づけられますが、約半年後の1954年1月10日には英国海外航空781便、その3か月後の4月8日には南アフリカ航空201便墜落事故が立て続けに墜落事故を起こし、やはり乗員乗客全ての命が失われる惨事となりました。

 いずれの「コメット」も、想定していた機体耐用年数よりもはるかに前の段階で墜落しており、しかも空中分解した可能性が高いことが明らかとなりました。機体開発時に見逃していた問題があると予想した、ウィンストン・チャーチル首相及び政府は、国の威信を賭けた徹底的な事故調査を行うこととなりました。

 チャーチルから、いくら資金をかけても原因を究明するように要請を受けたロイヤル・エアクラフト・エスタブリッシュメント(RAE)は、大胆な行動に出ます。2機目の事故機であり、イタリアのエルバ島沖に墜落した英国海外航空781便の残骸を引き揚げ、地上でパズルのように再度継ぎ合わせ、原因となった箇所を特定しようとしたのです。

 墜落機体の残骸を回収し、再度継ぎ合わせ原因を特定する方法は現在の事故調査では当たり前の検証方法のひとつになっていますが、同機で初めて試みられました。

【胴体全てを水槽に!?】これが、「コメット」墜落後に行われた実験の様子です(写真)

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