もみ消された!? 自衛隊による史上初の災害派遣「人命第一」が処分の対象に なんで?

初の救援活動、なぜか処分の対象に

 こうしたなか、1951(昭和26)年7月11日、京都府南桑田郡(現:亀岡市及び大阪府高槻市)のため池「平和池」が、活発な梅雨前線に伴う豪雨で決壊。この影響で桂川が氾濫、下流にあった集落は、決壊から20分ほどで鉄砲水に襲われ、79名の住民が命を落としました。

 これを受け、同月14日、被災地からの救援要請を受けた警察予備隊の福知山駐屯部隊が動きます。出動したのは、第504建設大隊隷下の2個建設中隊。これは今でいう施設中隊で、いわゆる工兵部隊になります。彼らは要請を受けて現場に向かい、救援活動を開始しました。

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1960年5月に起きた「チリ地震津波」による災害派遣のため、三陸沿岸で活動する陸上自衛隊員(画像:陸上自衛隊)。

 地元住民は救援で駆け付けてくれた警察予備隊の福知山部隊を歓迎します。そのため、この派遣が実質的に警察予備隊として初の災害派遣になるはずでした。しかし、報告を受けた警察予備隊本部は、当時の部隊長を処分します。

 なぜ、地元住民からも喜ばれた活動が処分の対象になったのか。それは、派遣が部隊長の独断であり、手続きを得ない独自判断の越権行動とみなされたからです。すなわち、シビリアンコントロールの観点から、総理大臣に指示を仰がなかったという点が、問題視されたと言えるでしょう。

 ただ、この処分が同年10月に発生した「ルース台風」への災害救援にも影響を及ぼすことになってしまいます。

【派遣目的は!?】これがバックミラーマシマシの「災害対応型戦車」です(写真)

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