もみ消された!? 自衛隊による史上初の災害派遣「人命第一」が処分の対象に なんで?
良くも悪くも「前例主義」な防衛省・自衛隊
「ルース台風」は、1951(昭和26)年10月14日から15日にかけて山口県東部へ襲来。これに対し山口県知事は、県西部の下関市にあった小月駐屯地(現・海上自衛隊小月航空基地)に所在する警察予備隊第11連隊(現・陸上自衛隊第11普通科連隊)に救援要請を出します。
これを受け、第11連隊は、福岡に司令部を置く第4管区隊総監部(現・第4師団司令部)に出行(出動)を上申しますが、福知山の一件が響いていたのか、総監部は連隊からの上申を却下します。
事態が深刻化していくなか、関係者の尽力によってなんとか第11連隊の上申が東京の警察予備隊本部に伝わります。これにより最高指揮官である吉田 茂首相から出行が許可され、同月21日になって第11普通科連隊は2個中隊を被災地へと派遣することができたのです。
なお、この「ルース台風」による出行が契機となり、警察予備隊は災害派遣活動を強化し、全国で次々と災害救援に出動するようになりました。その結果、警察予備隊の後継である保安隊が発足すると、保安庁法第66条にようやく「災害派遣」が明記され、保安隊の正式な活動へと進化。そして1954(昭和29)年7月1日に防衛庁(当時)および自衛隊が発足すると、自衛隊法にも「災害派遣」が盛り込まれ、現在に至っています。
防衛省ならびに陸上自衛隊の正式な記録では、第1回目の災害派遣は小月に駐屯していた第11連隊ということになっています。しかし、その裏には福知山駐屯地から出た第504建設大隊の救援活動があったというのは覚えておいても良いのではないでしょうか。
【了】
コメント