「異形機にジェットエンジンくっつけよう!」驚愕の“魔改造二刀流機”、なぜ生まれた? 超クセ強エンジン配置
なぜ「異形機を魔改造」することになったのか
そこで国産戦闘機の必要性が生じたため開発されたのが、J21です。ところが、初飛行は欧州戦が一区切りついたあとでした。しかし、すぐに米ソ冷戦の時代に入ります。
旧ソ連は、フィンランドを緩衝地帯としながら、世界情勢に脅威をもたらす存在になりました。そしてソ連は、戦利品だったドイツの技術を使い戦闘機のジェット化を進めます。
そのような状況下、スウェーデンもソ連と渡り合うため、ジェット戦闘機をできるだけ早く確保する必要がありました。そこで、プロペラが後ろに備わったJ21のエンジンを載せかえ、ジェット化するのが最も効率的とされたのです。こうして、次の新型機となるJ29「トゥナン」を準備するかたわらで、J21の“魔改造”が進められました。
しかし、ただ単純にエンジンを付け替えればうまくいくとは限りません。高温の排気により水平安定板の位置を高くするなど設計変更も必要となり、当初はJ21の設計の80%を流用できると思われたものの、実際は50%にとどまりました。用途も戦闘機ではなく攻撃機になり、J21Rは60機が採用されたに過ぎません。
ただ、もともとは同じ機体のため外見の差異は大きくなく、現在スウェーデンのリンシェーピンにある空軍博物館に置かれているJ21Rは、J21をJ21Rとして修復・復元したと説明版に書かれています。
J21とJ21Rはまさにプロペラ機からジェット機への変革期を示す機体になりました。一方、日本の震電は敗戦により試作機のまま姿を消し、戦後、日本が戦後にジェット機を初飛行させたのは1958年のT-1練習機でした。もし仮に、震電がジェット化されていたとしたら、どのように技術が継承されたのでしょうか。
【了】
Writer: 島田 駿(航空・旅行ライター)
飛行機による旅行が好きで記事を書き始めた。海が好きで、羽田空港や成田空港へも時折撮影に出かける。
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