海軍機動部隊の要 なぜ大型空母「瑞鶴」は幸運艦に? 繰り広げた死闘の数々

初被弾は4年目の大海戦

 制海権に加え制空権も徐々に失いつつあったミッドウェー海戦後、「瑞鶴」と「翔鶴」は必然的に空母戦力の主力となりました。ソロモン、南太平洋、マリアナと、優勢なアメリカ軍空母部隊と死闘を繰り広げます。ちなみに「瑞鶴」はマリアナ沖海戦(1944〈昭和19〉年6月)まで、1発も被弾しませんでした。「幸運艦」と称される所以のひとつでもあります。

 しかしマリアナ沖海戦では「翔鶴」に加え、最新鋭だった重装甲空母「大鳳」も沈没。航空機のほかパイロットも多数失い、日本の海軍機動部隊は壊滅状態に陥りました。「瑞鶴」も無傷では済まず、修理のため本土へ帰還しています。

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マリアナ沖海戦にて、激しい空襲を受ける「瑞鶴」(中央)と駆逐艦。1944年6月20日撮影(画像:アメリカ海軍)。

 1944年10月。「瑞鶴」は史上最大の海戦とも称されるレイテ沖海戦に参加。フィリピンを攻略しようとレイテ島に上陸してきたアメリカ軍に対し、「大和」を含む戦艦部隊がレイテ湾に殴り込みをかけるという作戦でした。このため、特に空母機動部隊が“囮”とされました。

 10月25日午前、「瑞鶴」はフィリピン・ルソン島のエンガノ岬沖でアメリカ軍の空襲を受けます。飛行甲板に爆弾が命中し火災が発生、さらに魚雷も受け浸水が始まりました。午後にかけ攻撃が続き、大型の「瑞鶴」は格好の標的になりました。損傷し回避行動もままならない中、爆弾や魚雷が次々と命中していきました。

 14時過ぎ、「瑞鶴」はついに沈没。一連の海戦で日本は空母4隻、ほか艦艇も多数失い、海軍機動部隊は事実上、壊滅したのでした。

「瑞鶴」は比較的多くの記録(写真など)が残っている空母です。それは長く生きながらえた証でもあり、前出の「幸運艦」のほかに「武勲艦」ともいわれます。

【了】

【写真】沈みゆく「瑞鶴」… 飛行甲板で万歳三唱する乗組員たち

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