旧海軍「一航戦」なぜ公式最強? 空母「赤城」「加賀」時代とその後支えた「五航戦」

旧日本海軍の部隊編成単位である「航戦」こと「航空戦隊」は、空母を基幹とし駆逐艦など警護艦数隻からなる部隊のことです。真珠湾攻撃に臨むにあたり最強をうたわれた「一航戦」の編成経緯や、その後を支える「五航戦」を追います。

その精強さイカサマ級!

 1941年12月8日(日本時間)、真珠湾攻撃へ臨む旧日本海軍の艦隊のなかに、空母「赤城」「加賀」の姿がありました。両空母とそれぞれが載せる航空部隊、および警護の駆逐艦3隻とで編成された部隊こそ、海軍航空戦隊の花形「一航戦」です。

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1941年12月8日(日本時間)、真珠湾攻撃のため空母「赤城」を飛び立つ零戦(画像:アメリカ海軍)。

 旧日本海軍では、空母とそれに載せる航空部隊を基幹とした「航空戦隊」という部隊単位を編成していました。太平洋戦争開戦時である1941(昭和16)年12月の各航空戦隊における空母は、第一航空戦隊(一航戦)が「赤城」「加賀」、第二航空戦隊(二航戦)が「蒼龍」「飛龍」、第三航空戦隊(三航戦)が「瑞鳳」「鳳翔」、第四航空戦隊(四航戦)が「龍驤」、第五航空戦隊(五航戦)が「翔鶴」「瑞鶴」となっていました。

 真珠湾攻撃に参加したのは、一航戦、二航戦、五航戦で編成された「第一航空艦隊」でしたが、このなかの一航戦は別格に練度が高く「チート(イカサマのようにすごい)部隊」とも言えました。なぜ一航戦は特別優秀な部隊だったのでしょうか。

 航空機が発達したとはいっても、太平洋戦争前はまだ戦艦中心の大艦巨砲主義が世界の常識でした。そうしたなかで立案された、航空機のみで敵本拠地をたたくという「ハワイ作戦」(真珠湾攻撃)の着想は画期的でしたが、あまりに常識破りでした。未経験分野も多く綿密な計画と準備が必要で、さらに作戦の秘密は絶対守らなければなりませんでした。

【写真】真珠湾攻撃のなかアメリカ艦に衝突した九九艦爆の残骸

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コメント

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3件のコメント

  1. 淵田美津雄少佐は、空母「赤城」の飛行長ではなく、飛行隊長です。
    1文字違いですがこの違いが大きいのはよくご存じですよね。

  2. その「1941年12月8日(日本時間)、真珠湾攻撃のため空母「赤城」を飛び立つ零戦」は裏焼き写真ですよ。
    当時の一航戦一番艦搭載機は AⅠ。

  3. よく日本は物量で負けただけなんだと言う愛国奴がいるけど、ミッドウェーは物量的にも日本が勝ってたからただ単に完敗しただけなんだよなぁ