東急VS西武 「伊豆戦争」で生まれた鉄道

下田へ「第二の黒船」が到来

 こうして「伊豆循環鉄道」の構想は潰えたかと思われた、そのときでした。東京急行電鉄(東急)の五島慶太会長(当時)が伊豆の観光開発を構想。鉄道・バスによる伊豆半島の交通アクセスを確立しようと考えます。五島慶太氏は東急の事実上の創業者とされ、その経営手腕から鉄道経営者として阪急の小林一三氏と並び称される人物です。

 東急は1956(昭和31)年、伊東下田電気鉄道株式会社の名義で「伊東・下田間地方鉄道敷設免許申請書」を政府に提出。この申請書の発起人には大倉喜七郎川奈ホテル会長、吉武一雄千代田火災海上保険会長、綾部健太郎代議士、小佐野賢治国際興業社長らも名を連ねていました(役職は当時のもの)。

 その申請理由として、伊豆半島は観光地としての条件を完備していながら交通対策が遅れており、国際観光地域を死蔵している状態のため、日本黎明に由緒ある下田へ鉄道を繋ぎ、東京から3時間前後で行けるようになれば国家的利益は莫大である、としています。

 この計画を、明治時代から構想がありながら実現しなかった下田の人々は大歓迎。「伊東・下田鉄道敷設促進下田同盟会」が結成されます。森信勝『静岡県鉄道軌道史』(静岡新聞社)によると、下田への鉄道敷設は「第二の黒船の到来」と位置づけられ、実現に向け町長をはじめ全町民が一丸となって支援することが決議されたといいます。

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コメント

5件のコメント

  1. 箱根山戦争って「小田急vs西武」ですよ。記事が間違っています。

  2. 小田急の背後に東急ですね。代理戦争です。

  3. 伊豆急は東急で決着しましたが河津・下田間は従来の計画では海沿いを通す予定でしたが負けた西武がプリンスホテルを造るために下田港近辺の土地を買収しその結果上記の区間は山間部(稲梓・蓮台寺)を迂回せざるを得なくなったのです

  4. 西武がからむと、すべてややこしく掻き回すだけで、ろくなことがない。

  5. 伊東(熱海)から伊豆稲取 または 伊豆高原まで、部分的にでも複線に出来ないのかな?