東急VS西武 「伊豆戦争」で生まれた鉄道

「伊豆戦争」の勃発

 しかし話はそれで終わりませんでした。西武鉄道系の駿豆鉄道(現在の伊豆箱根鉄道)が、東急が路線の敷設免許を申請した翌年の1957(昭和32)年、東急とほぼ同じ形で路線の敷設免許を申請したのです。

 駿豆鉄道は1893(明治26)年に設立された豆相鉄道を起源とし、1898(明治31)年に現在の三島田町~伊豆長岡間で鉄道路線を開業しました。そのため駿豆鉄道は、我々は60年ものあいだ伊豆開発に貢献してきた、国鉄が伊豆の鉄道をやらないのならば、伊豆半島唯一の鉄道である我々がそれを運行すべきと主張。東急VS西武の構図となり、下田への鉄道敷設を巡ってマスコミから「伊豆戦争」と呼ばれる状態になります。当時、東急と西武は箱根の開発を巡っても対立しており、「箱根山戦争」を引き起こしていました。

 その結果、1959(昭和34)年に運輸審議会は先に申請したこと、地元民の支持が大きいことから東急系の伊東下田電鉄へ免許を与えることが適当と判断。「戦争」が終結しました。ちなみに政府は免許を与えるにあたって、早期の建設完了、国鉄と同じ規格、国鉄との直通運転に応じること、国鉄が求める場合は買収に応じることという条件を付けています。

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会社名の部分以外、東急と同じ伊豆急行のマーク(2011年9月、恵 知仁撮影)。

 同年、伊東下田電気鉄道が設立され、取締役社長には五島慶太東急会長の長男である五島昇氏が就任。1961(昭和36)年に社名が現在の伊豆急行株式会社に変更され、その12月10日に伊東~伊豆急下田間の営業運転が始まります。前日に行われた開通式典では、俳優の石原裕次郎さんがヘリコプターで祝賀に駆けつけるという演出もありました。

 静岡県下田市には現在もそうした歴史を物語るように東急系の下田東急ホテル、西武系の下田プリンスホテルが営業しています。

参考文献:森信勝『静岡県鉄道軌道史』(静岡新聞社)

【了】

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Writer: 恵 知仁(鉄道ライター)

鉄道ライター、イラストレーター。「鉄道」や「旅」に関する執筆活動や絵本の制作を行っているほか、鉄道車両のデザインにも携わる。子供の頃からの旅鉄&撮り鉄で、日本国内の鉄道はJR・私鉄の全線に乗車済み。完乗駅はJRが稚内で、私鉄が間藤。メインは「鉄道」だが、基本的に「乗りもの」好き。

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コメント

5件のコメント

  1. 箱根山戦争って「小田急vs西武」ですよ。記事が間違っています。

  2. 小田急の背後に東急ですね。代理戦争です。

  3. 伊豆急は東急で決着しましたが河津・下田間は従来の計画では海沿いを通す予定でしたが負けた西武がプリンスホテルを造るために下田港近辺の土地を買収しその結果上記の区間は山間部(稲梓・蓮台寺)を迂回せざるを得なくなったのです

  4. 西武がからむと、すべてややこしく掻き回すだけで、ろくなことがない。

  5. 伊東(熱海)から伊豆稲取 または 伊豆高原まで、部分的にでも複線に出来ないのかな?