「100年経っても忘れません」無名の日本商船がギリシャ国民を救った! 軍艦相手に“大立ち回り”まで

日本では無名に近い客船「トーケイマル」ですが、遠く離れたヨーロッパのギリシャではよく知られた船名です。理由は1922年に発生したトルコとの軍事衝突。このとき何があったのかひも解きます。

逃げ場のなくなった人々の前に日本船が

 当時、「トーケイマル」は、貿易のために地中海へと来航していましたが、スミルナの住人が困っているのを見て、迷わず積み荷を捨てて彼らを乗船させます。こうして、救出されたギリシャ系並びにアルバニア系住民は、戦場と化したスミルナを離れることに成功したのです。

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1920年代で日本郵船が運用していたT型貨物船(画像:パブリックドメイン)。

 実は、この「トーケイマル」の船長もかつて薩英戦争で父親をなくしており、どうしても人々を見過ごすことができなかったそう。「トーケイマル」は、妨害しようとするトルコ海軍にも「もし難民に手を出すのなら、それは日本に対する侮辱とみなす」と毅然とした態度をとり、約800人のギリシャ人やアルメニア人を救い出しました。

「トーケイマル」という船は実在するのか。この話は実話なのか。船長はいったい誰だったのか。日本に残された資料は大変に少なく、調査も難航しましたが、ギリシャ近現代史の専門家である東洋大学の村田奈々子教授が、調査を続けるなかで一隻の商船にたどり着きました。

 その船は「東慶丸」。1915(大正4)年に中国大連の東和公司が購入し、翌年に日本の大連東和汽船へ移管された貨物船です。この船はもともとイギリスで進水し、オーストラリアとの間を結ぶ南半球航路で重用されたのちに、日本にやってきました。

 この「東慶丸」」が、1921(大正10)年に貿易で地中海へ向かったことが記録として残っています。

 さらに、船長についても日比左三という人物であったことを突き止めました。その人物像については不明であるものの、彼の母親が熱心なキリスト教徒であったことは判明しています。

 断片的な情報しかないため、推測の域を出ないのが現状ではありますが、つなぎ合わせていくと、「東慶丸」という船がエーゲ海 で多くの避難民を助けたようだ、というストーリーは間違いないのではないでしょうか。

 この「トーケイマル奇跡の救出劇」からちょうど100年の節目であった2022年には、ギリシャの都市カヴァラで、「TOKEI MARU 1922-2022: Commemorating 100 Years since a Japanese Ship’s Voyage to Smyrna」というイベントも開催されました。

 日本にはほとんど資料の残されていない事件ではありますが、ギリシャの人々の心にはしっかりと刻まれているようです。

【炎上する街…】戦場となったスミルナ(イズミル)の様子(写真)

Writer:

なぎはまな。歴史は古代から近現代まで広く深く。2019年現在はフリー編集者として、某雑誌の軍事部門で編集・ライティングの日々。趣味は自衛隊の基地・駐屯地めぐりとアナログゲーム。

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