妙にボロい駅の柱…“そこ”にある「街かど戦禍遺産」東京多摩にも“空襲の爪痕”

東京大空襲の後も空襲は都内を襲い、多摩地域にも甚大な被害をもたらしました。80年が経過した今も、都内には戦争の爪痕が数多く存在。今回は八王子市内の貴重な戦争遺構を紹介します。

多摩地域にも残る空襲の爪痕

 今年(2025年)は、悲惨な東京大空襲(3月10日)からちょうど80年目の節目の年です。1945(昭和20)年3月9日深夜から翌10日未明にかけて、米軍が300機以上のB-29重爆撃機で、東京の下町を無差別爆撃しました。一面の焼け野原となり、一般市民の犠牲者は10万人に達すると見られます。

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JR高尾駅に停車している中央線快速電車(画像:PIXTA)

 しかし空襲はその後も続き、都内の多摩地域にも甚大な被害をもたらしました。80年を過ぎた現在でも空襲の痕跡は都内各所に残っています。

●高尾駅ホームの弾痕

 JR中央本線高尾駅の1・2番ホームの屋根を支える鋼鉄製支柱(31番・33番)に、機銃掃射の弾痕が今でも間近で伺えます。その部分だけは新たに塗装せず、当時のまま残されています。

 1945年7月8日、八王子空襲に加わった米陸軍のP51マスタング戦闘機の12.7mm機銃の掃射によるものとも見られ、弾痕の入射角度や、2つの弾痕が非常に接近し、集弾率が良いことから、かなりの低空で、真正面からの射撃ではともいわれています。

●大和田橋の路面の焼夷弾痕

 終戦直前の1945年8月2日未明、八王子はB-29約180機による空襲を受け、市街地の8割が消失、約450人が犠牲となっています。

 市内を流れる浅川に架かる甲州街道の大和田橋には、その時に投下されたM69焼夷弾による着弾痕が残されています。1997(平成9)年に橋の大規模改修が行われた時、2か所をアクリル板で保護して弾痕を保存し、15か所は色違いのタイルを敷き、場所が特定できるようにしています。

※ ※ ※

 8月2日の八王子空襲後から間もない5日には、八王子市内を走っていた中央本線の列車にアメリカ軍の爆撃機が機銃掃射を行い、50人以上が死亡した「湯の花(いのはな)トンネル列車銃撃事件」も発生。これは、列車襲撃事件としては日本最大規模でした。現地には慰霊碑も立っています。

 武蔵野市には、何度も空襲の標的となった場所があります。「零戦」や「隼」などの戦闘機の発動機(エンジン)を生産していた中島飛行機の武蔵製作所です。空襲は1944年11月から1945年8月にかけて9回も行われ、この軍需工場だけでも従業員ら200人以上が死亡、500人以上が負傷。付近の源正寺や延命寺には、機銃掃射や爆撃で傷付いた墓石や、250kg爆弾の破片などが残されています。跡地は現在、都営アパートや武蔵野中央公園などに変わっています。

 改めて、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。

【80年前のまま】都内八王子に残る「空襲の爪痕」を見る(写真)

Writer:

1962年、東京生まれ。法政大学文学部地理学科卒業後、ビジネス雑誌などの各編集長を経てフリージャーナリストに。物流、電機・通信、防衛、旅行、ホテル、テーマパーク業界を得意とする。著書(共著含む)多数。日本大学で非常勤講師(国際法)の経験もある。

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