「成田空港の滑走路3本」なぜここまで時間かかった? 「反対運動スゴかった」だけじゃない事情とは

成田空港の滑走路が、将来的に「3本」となる予定です。実は同空港は当初「3本体制」となる予定でしたが、数上は計画をやっと達成することに。ただ、ここまでの経緯は、2本目・3本目で異なる模様です。

「反対運動プラスアルファ」?C滑走路実現まで

 加えて滑走路1本で開港した後も空港反対運動は続き、国と農家が1991年から1994年にかけて話し合いで問題を解決した後も未買収の空港予定地は残り、国は2002年にようやく、そもそもの長さより320m短い2180mの全長でB滑走路を供用させています。B滑走路の共用までの24年間の紆余曲折は、1960から1970年代にかかけての空港建設反対運動の影響が大きかったことがうかがえます。

Large 20250502 01
成田空港の航空写真。青い線が滑走路(画像:国土地理院の航空写真を加工)。

 対し、C滑走路の実現へさらなる時間を要したのは、こうした経緯に加えて日本や世界の経済状勢が背景である可能性があります。日本は1990年のバブル崩壊から早期に立ち直ることができず、2008年のリーマンショックによる世界経済の落ち込みなどにより経済力は大きく伸びたといえません。これら国内的事情のほかに国際的にも、2001年にアメリカで同時多発テロが生じたことで、航空業界は大きな落ち込みを見せました。

 こうしたなか、長い目で見れば首都圏の空港需要は増加傾向にあるものの、どうしても外部的要因による“水物”というのが航空業にはつきまといます。そのため成田空港はこれまで誘導路の改善などといった既存施設の使い勝手を向上させ、2025年10月下旬の冬ダイヤから年間発着数を34万回に引き上げるといった対応を重ねてきたわけです。

 それでは2029年以降はどうでしょう。2029年から20数年後は2050年代になります。その頃に日本の経済が“復活”していれば、滑走路はさらに必要とされているのかもしれません。

 とはいえ、成田空港は滑走路が並ぶ東西方向は住宅街と圏央道の予定地が既にあり、2029年時より拡張はひどく難しく思えます。同空港のこれ以上の拡張が“頭打ち”となると、将来像を描くのは一層難しくなるかも知れません。長年議題にも上がってきた「首都圏第3空港」の実現を、今度こそ視野に入れねばならない可能性もあるでしょう。それだけに、C滑走路実現の次の20数年後へ青写真を早期に描くのが望ましいと考えられます。

【画像】激変じゃん…これが「将来の成田空港」驚愕の全貌イメージです

Writer:

日本各地の名産や景勝に興味があり、気ままに目的地を決めて2泊3日程度の 小旅行を楽しんでいる。

最新記事

コメント

2件のコメント

  1. 3本目のC滑走路の遅れが経済的な低迷による航空需要の鈍化ということのようですが、2010年に羽田再国際化もしてますし、茨城空港も開港してます。単純に経済的低迷ということで片付けられないと思うのですが。

  2. 結果的にC滑走路をA/Bと並行に作ることで今後圏央道を跨いだ反対側に

    D滑走路の目処ついたとは思う

    幸いにもB-C滑走路の間は圏央道はトンネル区間なので上は色々作れる余地がある

    恐らくこのあたりに新ターミナル建設込みで計画されることだろう