「成田空港の滑走路3本」なぜここまで時間かかった? 「反対運動スゴかった」だけじゃない事情とは

成田空港の滑走路が、将来的に「3本」となる予定です。実は同空港は当初「3本体制」となる予定でしたが、数上は計画をやっと達成することに。ただ、ここまでの経緯は、2本目・3本目で異なる模様です。

当初は「滑走路3本計画」だったけど…。

 成田空港では、2025年現在も運用されている「B滑走路」の延伸に加え、新たに増設される「C滑走路」の建設工事が、同年5月より本格着工されます。C滑走路の完成は2029年の予定です。実は成田空港の滑走路は当初から3本体制が予定されていましたが、1978年の開港から半世紀以上の時を経て、本数上は開港当初の計画を実現することになりそうです。ここまでの経緯を振り返ってみましょう。

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成田空港を離陸する旅客機(乗りものニュース編集部撮影)。

 成田空港は、開港時には滑走路は一本しかありませんでした。そこからB滑走路の供用まで24年かかり、さらにC滑走路が実現するのはB滑走路の供用から27年後となる見込みです。この差はわずか数年ですが、背景は異なります。

 成田空港を運営するNAA(成田国際空港)はC滑走路の建設、現在2500mの長さを持つB滑走路を3500mにすることで、年間発着数を50万回に拡大する計画です。

 ただ冒頭で触れた通り、本来は同空港の滑走路は、A・Bを並行する形で配置し、3本目のC滑走路をそれら2本に斜めにクロスさせるようなレイアウトで設置される予定でした。今回の計画では、その“斜めレイアウト”ではなく、A・Bと平行に並ぶレイアウトでC滑走路を設置する計画です。

 成田空港の歴史を知る方は想像がつくと思いますが、B滑走路供用までの長い歳月を要した背景には開港前から始まった成田空港建設反対運動が背景にあります。

 しかし、C滑走路は当初計画の頓挫こそB滑走路と同様であるものの、ほかの要因要員も強く影響していると筆者は分析しています。

 1966年7月4日に建設が閣議決定された成田空港(当時は新東京国際空港)は、予定地にされたり騒音を懸念したりした成田市や芝山町の農家や地権者から一方的に建設を決められたと激しい怒りを買い、当時盛んだった学生運動も重なり、建設は遅れに遅れました。また、空港のレイアウトもこの状況を受け、当初の計画とはほど遠い状態での開港を余儀なくされたわけです。

【画像】激変じゃん…これが「将来の成田空港」驚愕の全貌イメージです

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コメント

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2件のコメント

  1. 3本目のC滑走路の遅れが経済的な低迷による航空需要の鈍化ということのようですが、2010年に羽田再国際化もしてますし、茨城空港も開港してます。単純に経済的低迷ということで片付けられないと思うのですが。

  2. 結果的にC滑走路をA/Bと並行に作ることで今後圏央道を跨いだ反対側に

    D滑走路の目処ついたとは思う

    幸いにもB-C滑走路の間は圏央道はトンネル区間なので上は色々作れる余地がある

    恐らくこのあたりに新ターミナル建設込みで計画されることだろう