世界の歴史の中でも珍しい“完全勝利”日本海海戦はなにがそこまですごかった?
国内では「日本海海戦」と呼ばれる戦いは、大国ロシアの海軍に、当時新興国であった日本が勝った――という意味で世界中に衝撃を与えました。また、この争いは列強各国の艦艇の運用方法に関しても大きな影響をもたらしています。
世界の海戦の考えまで変えてしまった完全勝利
この海戦で有名になったのが丁字戦法、いわゆる「東郷ターン」です。実は艦隊の主力艦全ての砲塔を一方向に集中できる丁字優位の法則は、同海戦以前にも知られていました。この海戦以前にも旅順艦隊相手に黄海で同様の戦法を試しましたが、優位な体制を取るための運動であると察知され、逃げられてしまい上手くいっていませんでした。

このときの失敗を活かした連合艦隊は、海戦が開始されてしばらくした午後2時5分、敵前の約8000mという至近距離で左回頭するという大胆な戦法に出たのです。
急に回頭した戦艦「三笠」を先頭にした連合艦隊に向け、ロシア側も慌てて砲撃します。しかし、単縦陣のままだったため、上手く砲弾を集中することができず、ほどなく連合艦隊が、目前に壁になるように横一列に並ぶことになります。
火力を集中されないようにロシア艦艇は右回頭を始めますが、ものの30分もしないうちに、勝敗はほぼ決してしまいました。
ロシア艦艇から放たれる砲弾はなかなか当たらず、逆に日本艦艇から放たれた砲弾は次々に命中し、主力戦艦や巡洋艦を次々に沈没、航行不能にしていきました。
1時間も経過したことにはバルチック艦隊は統率を失って散り散りになり、砲撃戦は日没とともに終了しました。この海戦後、目的地のウラジオストク港にたどり着けたロシアの艦艇はわずかに巡洋艦1隻と駆逐艦2隻のみ。一方で、日本海軍の艦艇も損傷はあったものの、戦闘不能になった主力艦はゼロ。沈没したのは小型の水雷艇3隻のみ。敵艦隊が長旅で疲弊していたことを加味しても余りある、世界の海戦史上、殆ど例のない完全勝利で幕を閉じることになります。
この海戦による敗北はロシア軍の戦意をくじき、アメリカの仲介もあったものの、日本との講和交渉にロシアが立つ一因を作り、戦争は終結に導きました。ロシアの支配に組み込まれた人々に大きなインパクトを与えると共に、世界の海軍の運用方法にも大きな影響を与えました。
この海戦後、艦はさらに大型重武装化していき、巨艦同士のぶつかり合いでその戦争の雌雄を決する「大艦巨砲主義」に世界はより傾倒していくことになり、それは、第二次世界大戦の開戦後もしばらく続くことになります。
※一部修正しました(5月29日16時50分)。
Writer: 凪破真名(歴史ライター・編集)
なぎはまな。歴史は古代から近現代まで広く深く。2019年現在はフリー編集者として、某雑誌の軍事部門で編集・ライティングの日々。趣味は自衛隊の基地・駐屯地めぐりとアナログゲーム。
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