新京成の蛇行なぜ? 津田沼にはそれを造った組織の遺構も

松戸~京成津田沼間を結ぶ新京成電鉄ですが、両駅間の直線距離は実際の路線より10kmも短いそう。同線がこのように“ウネウネ”と走るのはなぜでしょうか。その歴史的背景を探りました。

鉄道連隊の訓練用線路を改良

 千葉県を走る新京成電鉄は、松戸~京成津田沼間26.5kmを結んでいます。しかし、両駅の直線距離は16kmほどであり、地図で見てもかなり“ウネウネ”と走っていることがわかります。こうしたルートが生まれた背景は何でしょうか。

160824 shinkeiseisenkei 01
松戸~京成津田沼間を“ウネウネ”と結ぶ新京成電鉄(画像出典:国土地理院)。

 鉄道の歴史に詳しい大東文化大学の今城光英副学長によると、新京成電鉄はそもそも、旧日本陸軍の鉄道連隊が敷設した訓練用線路を改良したものだといいます。

 鉄道連隊は占領地域において、物資補給などを円滑に行うための軽便鉄道を素早く敷設したり、破壊したりすることが任務の部隊。そのため、さまざまな地形の戦地にも対応できるように曲線の線路を敷設したり、架橋したりする訓練が行われていたそうです。

 鉄道連隊によって造られた訓練用線路の取得が戦後、同連隊から車両を払い下げられた実績のあった西武鉄道と、千葉に路線を持つ京成電鉄によって争われ、結局、京成電鉄が設立した新京成電鉄に払い下げられることが決定。1947(昭和22)年に新津田沼~薬円台間が開業し、“ウネウネ”を徐々に解消しながら、1955(昭和30)年に現在のルートが完成します。

 今城副学長によると、千葉県内ではほかにも、成田と八日市場を結んでいた成田鉄道多古線(廃止)などが同連隊によって建設されたそう。同連隊に依頼すると、敷設費用が材料費のみで済んだこともあり、現在の日豊本線と日南線の一部にあたる旧宮崎県営鉄道なども、同連隊の手によるものといいます。

160824 shinkeiseisenkei 02
千葉工業大学津田沼キャンパスの通用門は鉄道連隊の遺構のひとつとして知られる(写真出典:千葉工業大学)。

 ちなみに総武線の津田沼駅と新京成電鉄の新津田沼駅に近い千葉工業大学津田沼キャンパス(千葉県習志野市)の通用門は、かつての鉄道第二連隊の兵営門。鉄道連隊の歴史を今にとどめる遺構のひとつとして知られています。

【了】

この記事の写真一覧

関連記事

最新記事

コメント

2件のコメント

  1. 1ページに無理矢理まとめたので、かなり重要な部分が割愛されています。
    うねうねの解消部分の大きなものとして、初富ー二和向台間が初富から少し進んだのち、大きく南側に迂回後、
    向きを北東に変えて二和向台駅で現在線と合流します。
    現在、線路跡の大部分は道路になっていますが、最南端部には低地をクリアするための橋脚が2つ
    残っています。地図でも判ります。
    もう一つは、八柱-五香間は八柱から約1キロで向きを北北東に変えて進み、現在の松戸市栗ケ沢まで行き
    そこから南南東に向きを変え、五香駅直前で現在線に合流します。
    線路跡は五香駅手前が道路となっている以外、これと言った遺構は残っていませんが、
    最北部の一部は畑としてのこっており、宅地の境界の石標には、陸軍の文字が読み取れます。
    なお、前原-京成津田沼間は、S28-43の間短絡線が設けられ、その間に藤崎台駅が設置されました。
    位置はイオン津田沼横のさくら公園の道路挟んで北側で、線路跡は道路になっており、駅や側線部は
    宅地になっています。
    イオン津田沼の位置も元々は軍施設⇒京成電鉄津田沼第二工場⇒人口スキー場⇒駐車場⇒イオンと変わっています。

  2. いやいや、この記事は「蛇行なぜ?」に対する答えがあまりにも不完全。当時は軍といえども鉄道敷設免許を取得するために一定の距離が必要だったため曲線を多用した、というのが欠落している。