山手線「丸くなって」100周年 それでも意外と変わってない? ちょっと“退化”したコトも

2025年は山手線が環状運転を始めて100周年を迎えます。1925年からの100年間で山手線はどのように変わったのでしょうか。

中央線に乗り入れていた山手線

 JR山手線は、東京23区内を一周する環状路線として知られています。環状運転が始まったのは1925(大正14)年11月1日ですから、2025年は山手線が環状運転を開始して100周年になるのです。

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環状運転から2025年で100年を迎える山手線(柴田東吾撮影)

 山手線は一周34.5kmに30の駅があり、東京から品川・渋谷・新宿・池袋・田端・上野を通って東京に戻る経路と、その逆の経路で電車が運行されています。

 田端~東京~品川間は京浜東北線などと並行していますが、正式には田端~東京間は東北本線、東京~品川間は東海道本線で、山手線の正式な区間は西側の渋谷・新宿・池袋を経由する品川~田端間とされています。ただし、東側の田端~東京~品川間も当初から山手線の電車が走る線路が用意され、ほかの系統と線路が分離されています。

 1925(大正14)年に山手線が環状運転を行う前は、山手線と中央線が一体的に運行されていました。当時の近距離の中央線電車は東京~吉祥寺間で運行されており、吉祥寺~新宿~東京~品川~渋谷~新宿~池袋~田端~上野という経路で山手線と直通運転を行っていました。「の」の字運転とも呼ばれていた運行形態です。この時代は、1本の電車が新宿とその隣にある代々木を2回通っていたことになります。

 1925(大正14)年には東京~上野間が開業し、山手線が環状になったことで中央線と運行が分離されています。厳密には東京~神田間で山手線と中央線が重複しているほか、秋葉原~上野間は東北本線が先に開業していますが、いずれも山手線の電車が走る線路が別に建設されています。

 今でこそ山手線は電車で運行されていますが、1885(明治18)年に山手線の原型となる品川~赤羽間の路線が開業した当初は、蒸気機関車が客車を牽引(けんいん)する形で運転されていました。当初の運行区間は、新橋~品川~新宿~赤羽間で、東海道本線に乗り入れていました。

 1903(明治36)年には、新設の池袋駅から分岐して田端駅までが開業しています。この少し前の1901(明治34)年には「山手線」という路線名が付いたとされています。

 山手線を電車が走るようになったのは、1909(明治42)年のことです。この際、品川~烏森(現在の新橋付近)間と、田端~上野間に電車用の線路が開通し、烏森~品川~池袋~田端~上野間と池袋~赤羽間で新たに電車が運行されています。

 この電車用の線路は1910(明治43)年6月に有楽町まで延伸されたほか、同年12月には呉服橋まで延伸されています。呉服橋は、現在の東京駅の北側にあった駅です。1914(大正3)年に東京駅が開業するまで暫定的に使用され、東京駅の開業と入れ代わりに廃止されています。

 1919(大正8)年に中央線が東京まで延伸されると、先の「の」の字運転が行われています。

【写真】「一昔前」の山手線を見る

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1件のコメント

  1. > 呉服橋は、現在の東京駅の南側にあった駅です。

    「北側」の誤りでは?