山手線「丸くなって」100周年 それでも意外と変わってない? ちょっと“退化”したコトも

2025年は山手線が環状運転を始めて100周年を迎えます。1925年からの100年間で山手線はどのように変わったのでしょうか。

100年前の山手線と今の山手線

 山手線が環状運転を始めた当初、山手線は28駅でした。1971(昭和46)年に西日暮里、2020年に高輪ゲートウェイが加わり合計30駅となりましたが、100年間で増えた駅はこの2つだけです。

 2025年のダイヤでは、日中5分間隔で11両編成の電車が運転されていますが、環状運転を開始した100年前の頃は、12分間隔で4両編成の電車が運転され、ラッシュ時間帯には5両編成の電車もありました。

 意外と電車の本数が少ないように見えますが、1925(大正15)年の段階では上野~東京~品川間で京浜線(現在の京浜東北線)と山手線が同じ線路を走っていたため、この区間では6分間隔でした。

 年を追って電車の本数が増え、編成も長くなります。特に田端~東京~品川間では、京浜東北線と山手線が線路を共有していたために電車の増発が困難になり、1956(昭和31)年11月に京浜東北線と山手線の線路を分離して今に至ります。

 しかし、山手線の一周を走行する時間は100年で大きく変わっていません。

 環状運転を開始した当初は、一周の所要時間は62分40秒とされていますが、2025年現在では概ね64分程度で運転されています。また、時間帯によって所要時間が変わり、ラッシュ時間帯では所要時間が延びる傾向があるほか、日中でも時間調整で所要時間は変わります。

 山手線は元々、現在の東海道本線と東北本線を結ぶ路線として建設されたもので、貨物輸送を念頭に置いた路線だったとされています。しかしその後は、東京の市街地が拡大したために路線の役割が変わり、都心部の路線が建設されて環状運転が行われ、今では日本を代表する路線として利用されています。

※内容を一部修正しました(7月15日14時10分)。

【写真】「一昔前」の山手線を見る

Writer:

1974年東京都生まれ。大学の電気工学科を卒業後、信号機器メーカー、鉄道会社勤務等を経て、現在フリー。JR線の2度目の「乗りつぶし」に挑戦するも、九州南部を残して頓挫、飛行機の趣味は某ハイジャック事件からコクピットへの入室ができなくなり、挫折。現在は車両研究が主力で、技術・形態・運用・保守・転配・履歴等の研究を行う。鉄道雑誌への寄稿多数。資格は大型二種免許を取るも、一度もバスで路上を走った経験なし。

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コメント

1件のコメント

  1. > 呉服橋は、現在の東京駅の南側にあった駅です。

    「北側」の誤りでは?