「史上最悪のスカイライン」の呼び名は本当か? 多難だった「4代目GT-R」の評判をガタ落ちさせた“事件”の真相

1995年に発売された日産のBCNR33型「スカイラインGT-R」は、大きく重くなったボディで、偉大な先代「R32型」を超えなければならず、結果「史上最悪のスカイライン」とまで呼ばれました。ただ、その評価は正しいのでしょうか。

「マイナス21秒」の文句をひっさげ発売! “ある事件”が問題に…

 さすがの日産もGT-Rプロトタイプの評判を重く受け止めたようで、1995年1月の「第13回東京オートサロン」では、プロトタイプからエクステリアを一新した市販型が公開されました。BCNR33型はようやく「スカイラインGT-R」にふさわしいルックスを手に入れました。

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BCNR33型「スカイラインGT-R」のリアビュー。「スカイラインGT-R」としては通算4代目に当たるモデル

 また、新型GT-Rは性能面でも先代型を超えるべく入念な開発が行われ、ドイツの「ニュルブルクリンク」サーキット北コースでは、BNR32型が記録した8分20秒のラップタイムより21秒も速い7分59秒を記録。テレビCMでは「マイナス21秒ロマン」のキャッチコピーでパフォーマンスの高さを宣伝しました。

 しかし、BCNR33型GT-Rはデビュー直後“ある事件”を起こしてしまいます。それが現在もカーマニアの間で語り草となっている、通称「ベスモ事件」です。騒動は、ビデオマガジン「ベストモータリング」の企画の一環で行われた、国産スポーツカー8台による筑波サーキットでの模擬レースで起こりました。

 このレースには、日産が広報車として用意した2台のGT-Rのほか、レギュラーキャスターでレーシングドライバーの土屋圭市氏が自ら購入したGT-R「Vスペック」がエントリー。しかしレース本番、土屋氏の愛車は同じVスペックを含む2台の広報車に比べて明らかに遅いタイムでしか周回できず、土屋氏は途中でレースを放棄してしまったのです。

 日産はサーキットアタックへの対策として、広報車にはオイルクーラーとニスモ製のブレーキパッド、ブレーキ導風板を追加で装着したと事前に説明していました。ところがレース後にベストモータリングが広報車を確認したところ、実際にはこのほか、車高がリア5mm、フロントで15mm下げられていたほか、フロントキャンバー角の変更や、ブーストアップなどのチューニングが施されていたことが判明。日産がマスコミ用に貸し出す試乗車を密かに改造する「広報チューン」を行っていたことが明らかになりました。

 今でこそ聞かなくなりましたが、広報チューンは1990年代ごろまで業界の“暗黙の了解”だった部分もあり、日産に限らず、多くのメーカーが恒常的に行っていたといわれています。しかし、この時のチューニングは極めて目に余る内容でもあり、土屋氏は「広報チューンはユーザーに対する背信行為だ」と強く批判しました。

 この一件により、BCNR33型GT-Rはニュルブルクリンクで記録した「マイナス21秒」のタイムにさえ疑惑の目を向けられることとなり、発売から間もない時点で大きく評判を落としてしまったのでした。

【ファン総スカン!?】これが不評だった「プロトタイプ版」GT-Rです(写真)

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