【懐かしの国鉄写真】都内でも「旅客輸送が”オマケ”」だった雰囲気が… 貨物列車バンバン、旧型電車も行き交った「青梅線」50年前の記憶

JR青梅線は、石灰石輸送の盛んな路線でした。「青梅線の主」ED16形電気機関車が牽引(けんいん)する貨物列車や、旧型の73系電車などが多摩川の渓谷沿いを行き交う1975(昭和50)年頃を振り返ります。

この記事の目次

・ED16と73系が主力だった50年前の青梅線

・多摩川の対岸から、ED16牽引の貨物列車を撮影

・貨物用の側線がずらり並んでいた奥多摩駅

【画像枚数】全20点

ED16と73系が主力だった50年前の青梅線

 青梅線の前身は青梅電気鉄道という私鉄です。沿線で産出する石灰石を臨海部の工業地帯に輸送することを主な目的として開業しました。戦時中の1944(昭和19)年に国有化されて青梅線となりますが、沿線の開発が進んだのは昭和30年代後半くらいからで、今でも青梅から先の区間は私鉄時代の面影が感じられる駅舎などが残っています。

 今回の写真を撮影した1975(昭和50)年10月頃は、貨物列車の牽引(けんいん)はED16形電気機関車、旅客列車は旧型の73系電車が主力で、中央線と共通運用の101系電車も一部使用されていました。

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島式ホームの先端は手軽な撮影ポイントだった。駅周辺は開発されたが、機関車背後の木立はまだ残っている。手前の架線柱は青梅電気鉄道時代のものと思われる(福生/1975年10月、楠居利彦撮影)
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ED16形7号機が牽引する下り列車。貨車はホキ2500形で、台車の枕バネがカバー付きになっている。ラッシュ時には河辺始発(終着)の中央線直通列車が運転されていた(河辺/1975年10月、楠居利彦撮影)
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青梅は電車区があった名残で上り線側に電留線がある。待避するED16形14号機は上越線配置の名残であるスノープラウ付きで人気があった(青梅/1975年10月、楠居利彦撮影)

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Writer:

1946年、東京生まれ。中央線の沿線で育ったので、鉄道は複線で電化され、長編成の電車が頻繁に走るものと認識している。鉄道誌の創刊に関わり、車両データ本の編集を担当した。趣味は鉄道模型製作。

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