【懐かしの私鉄写真】新横浜線なんて思いもしなかった!「東急目蒲線」の記憶 旧型車コトコト 都会のローカル線

東急新横浜線の開業により、新たな直通運転ネットワークの一翼を担うことになった東急目黒線は、その前身を目蒲線といいました。最後まで旧型車が残り、3両編成の列車が行き交った都会のローカル線を懐古します。

この記事の目次

・旧型電車が最後まで残っていた
・東横線には最新型8500系の姿も
・緑色に混ざって復刻された2色塗り
・ターミナルらしい頭端式ホームだった目黒駅

【画像枚数】全27点

旧型電車が最後まで残っていた

 目黒と蒲田を結ぶ路線だった東急電鉄目蒲線は、目黒蒲田電鉄により1923(大正12)年3月11日に目黒~丸子(現在の沼部)間、同年11月1日に丸子~蒲田間が開業しました。1926(大正15)年2月に東京横浜電鉄が丸子多摩川(現在の多摩川)~神奈川(現在の横浜付近)を開業し、これが渋谷に延長されるまでの約2年間は、目黒~神奈川間の直通運転も行われていました。

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多摩川園前を発車した蒲田行き。デハ3500形は京浜電鉄への乗り入れを考え、標準軌に改軌可能な長軸台車を使用していた。右側には多摩川園のローラーコースターが見えている。二子玉川園とともに東急直営の遊園地だった(多摩川園前~沼部/1966年1月、楠居利彦撮影)。

 全長13.1kmの路線だった目蒲線は、2000(平成12)年8月に大きな変化を迎えます。多摩川を境に目黒~多摩川間は目黒線、多摩川~蒲田間は東急多摩川線と分けられ、さらに目黒線は武蔵小杉まで延長(現在は日吉まで)。同年9月からは地下鉄南北線、三田線との相互乗入れも開始されました。そして今や新線である東急・相鉄新横浜線を経由し、神奈川県央まで直通します。

 とはいえ目蒲線時代は、車両の近代化から取り残され、東急では一番遅くまで旧型車が走る線区でした。『目蒲線物語』という歌のなかで「草色の醜い3両編成」と揶揄された3000系は、1989(平成元)年3月18日限りで引退しましたが、今回はその直前に撮影したカラーポジを中心に、紺と黄色の2色塗りだった姿も合わせてご覧ください。

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目黒行きが大岡山を発車したところ。次の洗足を地下化するための工事が始まっている。車両はクハ3853+デハ3450形×2で、中間の3450形はまだ車体更新が行われていない(大岡山~洗足/1966年1月、楠居利彦撮影)。
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大岡山の大井町線 溝ノ口方面行きホーム端から撮影。ホームは大井町線が2面2線、目蒲線が1面2線で、現在のような対面乗換えはできなかった。1台車1モーターの6000系は大井町線で使用されていた(大岡山/1966年1月、楠居利彦撮影)。

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Writer: 楠居利彦(鉄道ライター)

1946年、東京生まれ。中央線の沿線で育ったので、鉄道は複線で電化され、長編成の電車が頻繁に走るものと認識している。鉄道誌の創刊に関わり、車両データ本の編集を担当した。趣味は鉄道模型製作。

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