「新幹線の父」をNHK朝ドラに 実現なるか? 地元で署名10万筆超 “新幹線計画”の追い風にも?
「新幹線の父」と呼ばれる故・十河信二元国鉄総裁の夫妻を主人公にしたNHKの連続テレビ小説の実現を目指し、出身地の愛媛県などが署名活動などを繰り広げています。どのような人物で、そしてどのような効果があるのでしょうか。
大反響作品に続け…ではない要望の背景
国鉄の第4代総裁で、1964年開業の東海道新幹線の実現に尽力したことから「新幹線の父」あるいは「新幹線生みの親」と呼ばれる故・十河信二(そごうしんじ)氏(1884―1981年)と、妻の故・キクさんを主人公にしたNHK連続テレビ小説(通称・朝ドラ)にしようとする動きが出身地の愛媛県で出ています。十河氏が生まれた愛媛県新居浜市や、かつて市長を務めた同県西条市などが署名活動を繰り広げており、既に10万筆の大台を突破しています。

夫妻が主人公の朝ドラと言えば、「アンパンマン」シリーズの原作者である漫画家、やなせたかし(本名・柳瀬 嵩)さんと夫人の暢さん(ともに故人)をモデルにして大反響を呼んだ「あんぱん」が2025年9月26日にフィナーレを迎えたばかりです。
やなせさんと暢さんは愛媛県の隣の高知県で育ったため、一見すると「あんぱん」の二匹目のどじょうを狙っているかのように映ります。しかし、実際にはドラマ化要望のきっかけは別の作品でした。筆者(大塚圭一郎:共同通信社経済部次長)は西条市のJR伊予西条駅に隣接した「十河信二記念館」を訪れ、十河氏の歩みなどを学んできました。
「名総裁」になるとは想像し得なかった船出
十河氏は東京帝国大学(現・東京大学)を卒業後に鉄道院に入り、南満州鉄道(満鉄)理事や、中国北部地域の経済開発に当たる国策会社の社長などを歴任。第二次世界大戦の終戦前後の1945―46年に第2代西条市長を務めました。
その後、鉄道弘済会会長や日本経済復興協会会長を経て、1955年国鉄総裁に。それは逆風の中の船出でした。
というのも、国鉄は1954年9月に本州と北海道を船舶で結んでいた青函連絡船「洞爺丸」が台風で転覆して1155人もの死者・行方不明者を出し、翌55年5月には本州と四国を結んだ宇高連絡船「紫雲丸」が沈没して168人が死亡。大惨事を繰り返した国鉄への批判が高まっていたからです。
第3代総裁だった長崎惣之助氏(故人)が引責辞任したものの、後任のなり手がなく、「最後のご奉公と思い、赤紙を受けて戦場に行く兵士のつもりで、鉄路を枕に討ち死にの覚悟で職務にあたる」と宣言して火中の栗を拾ったのが十河氏でした。
しかし、71歳での総裁就任は「鉄道博物館から引っ張りだされた古機関車」と揶揄される始末。十河氏のレリーフが埋め込まれた記念碑が東京駅に設けられ、出身地の愛媛県に記念館が建てられるほどの「名総裁」として名前を刻むようになるとは、当時の国民は夢想だにしませんでした。
コメント