残っていれば化けていた? 都市を駆けた廃止26年の鉄道「今は不便になった」 “LRTみたいな構造”がアダに?
日本海側の主要都市を1990年代後半まで駆けていた「路面電車」の車両が保存され、来訪者の目を楽しませています。宇都宮や富山で重宝されている次世代型路面電車(LRT)になる可能性も秘めていた路線は、なぜ消えてしまったのでしょうか。
政令指定都市を走った鉄道、ちょっとだけ「路面電車」
本州の日本海側最大の都市であり、政令指定都市である新潟市の市役所前の道路を、「路面電車」が発着していました。現在は路線バスや高速バスを運行している新潟交通が1999年に廃止した「電車線」です。

「電車線」は、手始めに新潟交通の前身、新潟電鉄が1933年4月に新潟市の東関屋―白根間で開業。同年7月に県庁前(85年に「白山前」へ改称)―東関屋間、同年8月に白根―燕(新潟県燕市)間がそれぞれ延伸し、全長36.1kmができあがりました。
単線で大部分が専用軌道でしたが、中でもユニークだったのが移転前の新潟県庁、および現在の新潟市役所の前にあった県庁前(後の白山前)―東関屋間のうち2.2kmの軌道線(路面電車)です。いわゆる路面電車の車両ではなく、一般的な鉄道車両が道路上を行き来していました。
筆者(大塚圭一郎:共同通信社経済部次長)は1984年に新潟県を旅行した際、県庁前駅を出発する緑色とオレンジ色のツートーンでまとった通称「かぼちゃ電車」のモハ10形を見て「カッコいい」と感激して乗車したいと思いました。しかし、次の電車がしばらく来ないことが分かり、乗れないまま廃線になったのが心残りとなっていました。
筆者は2025年9月中旬に新潟日報政経懇話会長岡会での講演のため新潟県を訪れた際、41年ぶりに「かぼちゃ電車」と“再会”しました。途中駅だった旧月潟駅(新潟市)の周辺の廃線跡約2.2kmが遊歩道として整備されており、今も残る月潟駅プラットホームに展示されたモハ10形は、ボランティア団体「かぼちゃ電車保存会」のおかげで美しい姿を保っています。
41年ぶりの再会で見た美しい車両群
保存されているのは1933年に日本車両製造で製造され、66年に車体更新をしたモハ10形モハ11号のほか、33年に製造された電動貨車モワ51形51号、鉄道省大宮工場(現・JR東日本大宮総合車両センター)で32年に造られ、67年に新潟交通入りした雪かき用のラッセル車キ100形116号の3両です。うち、モハ11号は2025年9月28日にイベント「走れ!かぼちゃ電車2025」で走行します。
旧月潟駅の近所に住む男性は「新潟交通電車線があったおかげで高校まで電車で通学でき、新潟市の中心部に遊びに行くときも乗った」と振り返ります。
「今は月潟停留所から(新潟交通グループの)路線バスで繁華街や新潟駅へ行くには、たいてい青山停留所で乗り換える必要があり、本数も少なくなって不便になった。近くの高校生は親がマイカーで送り迎えしている家が多く、親御さんの負担になっている」――男性はこう指摘しました。
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