日本海軍の戦艦では異色の艦歴!? 強大な米海軍の新型戦艦たちに真っ向から挑んだ「古強者」とは

初めて国内の民間造船所で建造された戦艦である「霧島」。ガダルカナル島をめぐる戦いでは、アメリカ海軍の新型戦艦2隻に真っ向から挑むなど、特徴的な艦歴でも知られます。

不利な状況で新型戦艦2隻に挑む

 その後、セイロン島作戦やミッドウェー海戦、第二次ソロモン海戦、南太平洋海戦に参加。1942年11月には、ガダルカナル島の米軍飛行場の砲撃に向かい、第三次ソロモン海戦に参加します。同年10月に同型艦の「金剛」「榛名」がガダルカナル島への砲撃を成功させ、大きな戦果をあげたことから、その再現をねらったのです。ただ、今度はアメリカ艦隊も待ち構えており、乱戦となりました。

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1937年、宿毛湾で撮影された「霧島」。第2次近代化改修後の姿(画像:アメリカ海軍)

「霧島」にとって運命の戦いとなった「第三次ソロモン海戦」は、1942年11月12~15日に繰り広げられ、「第一夜戦」「第二夜戦」と区別されています。第一夜戦で「霧島」は、アメリカ海軍の重巡洋艦や駆逐艦と交戦しました。

 この戦いで「霧島」は、重巡洋艦「サンフランシスコ」などを撃破し、同艦に座乗していたアメリカ艦隊の指揮官ダニエル・ジャドソン・キャラハン少将を戦死させるなどの戦果をあげましたが、飛行場砲撃には失敗。同型艦の「比叡」もアメリカ軍に多大な被害を与えたものの、戦闘で操舵不能となり、最終的に自沈処分となりました。

 続く第二夜戦では、重巡洋艦「愛宕」や「高雄」とともに再度飛行場の砲撃に向かい、アメリカ海軍の新型戦艦「サウスダコタ」「ワシントン」と対決します。

 元々は防御力が低い巡洋戦艦で、旧式化も進んでいた「霧島」にとって、新鋭戦艦の「サウスダコタ」や「ワシントン」は恐るべき相手。同じ「戦艦」と言っても攻防能力には大きな差がありました。また、「霧島」の主砲には飛行場を砲撃するための「三式弾」が装填されており、これを対艦用の徹甲弾に変更する余裕がないまま戦闘が始まってしまいます。

 ただ、かなり不利な状況にも関わらず、他艦と共同で「サウスダコタ」を撃破することに成功します。その後、「ワシントン」から攻撃を受け、多数の砲弾が命中した「霧島」は大破。総員退艦後に沈没してしまいました。この戦いの結果、ガダルカナル島をめぐる戦況はアメリカ有利に傾くことになります。

 第二次世界大戦に参加した日本の戦艦では珍しく、砲撃戦で最後を迎えることになった「霧島」ですが、沈没時の戦死者は比較的少なく、大部分の乗員が救助されたことは不幸中の幸いでした。

「霧島」の艦名は現在、海上自衛隊のイージス艦「きりしま」に受け継がれています。

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