100年先の鉄道を見通した男がいた 国鉄「アイデアマン」木下淑夫が目指したもの
訪日外国人観光客の誘致が叫ばれる昨今ですが、実は100年以上前にも訪日客の獲得をもくろみ、さまざまな施策を実施した国鉄職員がいました。彼はどのような経緯で「インバウンド」を推進しようと考えたのでしょうか。
時代を先取りした男
これからの鉄道はサービスを重視しなければいけない、乗せてやるのではなく、乗っていただくのだ……そう説いた鉄道マンがいました。
彼は鉄道を利用した新しいツーリズムの実現を目指し、列車で観光地を巡りながら旅をする「クルーズトレイン」を提案したり、訪日外国人旅客の獲得を目指して海外での旅客誘致に努めたり、駅員に語学教育を実施するなど尽力しました。
一方で彼は鉄道の行く末についても真剣に考えます。ローカル線では必ずしも鉄道という形態にこだわらずバスを活用した方が良い、鉄道は大量輸送、高速運転という特性を活かした幹線輸送に特化するべきだ、と。彼が思い描いた鉄道像は、ここ10年でどんどん形になっています。
この人物はJRの社長でしょうか、国土交通省の幹部でしょうか。それともやり手のコンサルタントか、大物鉄道評論家か。
実は、これらを唱えたのはいまから100年以上前、国鉄の運輸、旅客部門で活躍した木下淑夫という人物。彼は1906(明治39)年の鉄道国有化以前に官設鉄道(官鉄)に入り、国有化後にいまに続く鉄道の基礎を作りました。
木下淑夫は1874(明治7)年、京都府熊野郡(現在の京丹後市)に生まれました。勉学を志して京都の旧制三高(京都大学の前身のひとつ)に入学するも、途中で工学を志し仙台の旧制二高に移り、東京帝国大学工科大学(現在の東京大学工学部)を卒業します。さら大学院に進み、法律と経済を学びました。
勉学だけでなく、スポーツでもボート競技や長距離走で数々の賞を獲得したといいます。若くからさまざまな分野にチャレンジし、広く知識を重ねたことが、のちの広い視野につながったのでしょう。
官鉄にサービスと営利を…寝台車や食堂車の導入を推進
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Writer: 枝久保達也(鉄道ライター・都市交通史研究家)
1982年、埼玉県生まれ。東京地下鉄(東京メトロ)で広報、マーケティング・リサーチ業務などを担当し、2017年に退職。鉄道ジャーナリストとして執筆活動とメディア対応を行う傍ら、都市交通史研究家として首都圏を中心とした鉄道史を研究する。著書『戦時下の地下鉄 新橋駅幻のホームと帝都高速度交通営団』(2021年 青弓社)で第47回交通図書賞歴史部門受賞。Twitter:@semakixxx
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