船でしか行けない秘境の温泉宿、なぜ誕生 いまや外国人1万人超えスポット、背景にダムの歴史

「木材の川流し」から遊覧船へ 波乱の1世紀

 小牧港があるのは、関西電力が管理する小牧ダムのすぐそば。じつは、遊覧船が航行するのは川ではなくダム湖です。遊覧船の成り立ちは、小牧ダム建設にまつわる争いの歴史と切っても切りはなせない関係にありました。

 庄川では、江戸時代から昭和初期まで木材の流送(川の流れを利用して木材を運搬すること)が行われていました。「流送夫」と呼ばれる従事者が夏ごろから半年間ほど上流に入って木材を流し、残りの半年は下流の田畑で耕作ができたので、一帯は非常に栄えていたようです。

 しかし、小牧ダムの建設により彼らの生活は一変することになります。建設が始まったのは1926(大正15)年。ダムができてしまえば流れがせき止められるわけなので、当然流送ができなくなります。木材関係者は訴訟を起こしましたが、当時ダム建設を進めていた電力会社の力は強く、押し切られてしまいました。

 こうした経緯がありましたが、電力会社側が木材運搬に配慮して、ダムには専用の施設が作られることに。その一環として、木材を曳く「曳舟」が1931(昭和6)年から運航されました。しかし、その後も電力会社と木材業者の争いは解決せず、1933(昭和8)年には双方が衝突して流血をともなう事件に発展。これは世に「庄川流木争議」と呼ばれています。

 現在の大牧温泉の営業が始まったのは、ダムが完成した翌年の1931(昭和6)年です。もともとは、より低地の集落にあったのですが、ダムにより沈んでしまったため、高台に移転して営業を始めました。そのような経緯で建てられたため陸路がなく、「曳舟」を使って客の送迎をするようになったのが、現在の庄川遊覧船の起源です。

 ちなみに、ダムの建設開始から13年間は、小牧ダムの建設資材を運ぶため、庄川の左岸に専用軌道が通っていました。下流から小牧ダム工事現場までの約4.7kmを結び、小牧ダムが完成し稼働を始めたあとも、流木の代替として木材輸送に用いられましたが、現在はほとんど道路になっており、わかりやすい遺構はあまり残っていません。

【了】

記事制作協力:風来堂

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