【懐かしの国鉄写真】初めての関西単独行で撮影した阪和線の「社形国電」(写真8枚)
まもなく東海道新幹線が開業しようというころ、初めての関西行きで撮影した国電は阪和線でした。当時の阪和線は社形(阪和形)と呼ばれるクモハ20形とクハ25形が主力で、国鉄形は少数派でした。
昔の「ムーンライトながら」に乗って関西へ
私が初めて単独で関西に行ったのは、大学生になった1964(昭和39)年8月のことです。まだ新幹線は開業していないし、高速道路は名神の一部が開業しただけですから、往復とも東海道本線を利用するしか選択肢はありません。
往路は「ムーンライトながら」の起源といえる、夜行の143列車。列車番号から分かるように、客車の普通列車です。車両はオハ35形が主体でしたが、私が乗ったのは窓が狭いスハ32形。けん引機はEF61形で、最新の電気機関車が旧型客車の普通列車をひいているのが意外といえば意外に感じられました。
関西での滞在先となった親戚の家が阪神電車の沿線にあったこともあり、国電は環状線以外にはあまり乗っていません。はっきり覚えているのは、第1日目に京都から西ノ宮まで乗った緩行のクモハ51形くらいで、残念ながら写真は撮っていません。
唯一、少しまとめて撮ったのが阪和線で、このほかに環状線と本線緩行が各1点。いずれも未熟な撮り方ですが、改めて拡大したネガを観察すると、撮影時に気付かなかったことが見えてきました。
大阪から天王寺まで乗った環状線の101系で、場所は天王寺の内回りホームです。東京で見慣れている101系ですが、前面の「環状」という表示が珍しくてシャッターを切りました。当時、環状線はすべて101系になり、4M2Tの6連で運転されていました。
次々にやってくる「阪和形」を撮影
天王寺からは阪和線の列車に乗り、鳳駅で下り列車を何本か写しています。乗った車両の形式はまったく記憶がありません。
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Writer: 楠居利彦(鉄道ライター)
1946年、東京生まれ。中央線の沿線で育ったので、鉄道は複線で電化され、長編成の電車が頻繁に走るものと認識している。鉄道誌の創刊に関わり、車両データ本の編集を担当した。趣味は鉄道模型製作。