月を目指せ! 米アポロ11号成功の一方でソ連は…? 歴史の陰に隠れた「ルノホート」
具体的にどう動かしていたの?
「ルノホート」のラジコン操縦は5人がかりでした。全体を指揮する車長、操縦手、カメラ映像などから周囲の状況を確認するナビゲーター、観測機器オペレーター、地球と通信する無線オペレーターが必要でした。この操縦チームは2組編成されて交代で操縦に当たりましたが、その選抜と訓練は宇宙飛行士並みの厳しさだったそうで、チームのメンバーは自分達が宇宙飛行士になって月に行くのではないかと思ったそうです。
操縦は戦車よりもずっと大変です。月面で車がスタックしたり、ひっくり返ったりしても誰も助けてくれません。しかも周囲の状況を確認するカメラからの映像はリアルタイムの動画ではなく、20秒に1度モノクロの静止画像が送られてくるだけです。20秒ごとに送られてくる静止画とその直前の静止画を比較しながら、進路を決めなければなりません。カメラの視野が狭い、視点が低い、コントラストが浅くて物体を把握しにくいという問題もありました。しかも地球から月まで電波が届くのに約1秒のタイムラグがあります。宇宙飛行士並みの訓練の厳しさは理解できます。
続いて1973(昭和48)年1月15日、「ルノホート2号」が再び月面に降り立ち、4か月にわたって活動し8万枚以上の画像を撮影、走行距離は37kmに達しました。この距離は現在火星で活動中のアメリカの探査車「オポチュニティ」が、2013年6月に40kmを走破するまで破られず、45年前の技術レベルを考えると大変な記録です。ちなみに「オポチュニティ」は2018年10月現在、走行を停止中ですが、その総走行距離は45.16kmになっています。
「ルノホート」は1977(昭和53)年に打ち上げ予定の3号まで用意されていましたが、予算不足から計画は中止されています。この頃すでにアポロ計画も終了しており、人類の月探査熱は急速に冷めてしまっていたのです。
【了】
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