京急バスの「ドル箱路線」、かつては鉄道の計画も 「京急武山線」なぜ実現しなかった?

三浦半島の東西を横断するバス路線のなかで、運転本数がズバ抜けて多いのが、京急の横須賀中央駅付近と半島の西側を結ぶ県道26号線を走る系統です。かつては、このルートに沿った鉄道の建設計画もありました。

横須賀市内、三浦半島の東西を結ぶバス

 神奈川県横須賀市のある三浦半島は、東京湾に面した東側と、相模湾に面した西側のあいだを三浦丘陵が隔てる地形です。京急やJRといった鉄道はおもに東側を通っており、対して西側地域は路線バスが主たる公共交通手段で、半島を横断して東側の鉄道駅とを結ぶバスも数多く存在します。

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神奈川県道26号線を走る京浜急行バス。写真の衣笠トンネルは、鉄道用トンネルが一部転用され、補修されたものといわれる(2018年8月、宮武和多哉撮影)。

 武山や林、長井といった横須賀市の西側地区は、合わせて4万以上の人口があり、都心へ向かう通勤客の多くは、三浦丘陵を貫く県道26号線(三崎街道)経由のバスで京急の横須賀中央駅やJR横須賀駅、衣笠駅に出ると見られます。というのも、この道を通って市の東西を結ぶバスの本数は、三浦半島でも随一の多さだからです。たとえば、三浦丘陵の尾根に近い衣笠城址バス停から衣笠駅・横須賀駅方面へ向かうバスは、平日朝7時台に18本(複数系統の合計。衣笠十字路止まりを含む)、衣笠十字路バス停から横須賀駅までの区間では24本にもなります。

 これらバスの運行を担うのは、京浜急行バスの衣笠営業所です。親会社の京急にとっては、鉄道の乗客を増やすうえで、これらのバスが大きな役割を果たしていますが、じつはかつて京急は、この県道26号線に沿って鉄道を計画していました。

「武山線」と呼ばれるこの路線は、第2次大戦中にいったんは着工されました。1944(昭和19)年に国鉄衣笠駅が開業すると、そこから軍施設がある横須賀市林(現在の陸上自衛隊武山駐屯地)まで建設するよう、陸軍も京急(当時は東急の横浜管理部、いわゆる「大東急」)に対し要請します。この区間は当時、軍関係の施設以外は民家もまばらでした。

 しかし、建設が始まったころには、すでに日本中で資材不足が顕著に。土地を取得し、人海戦術でトンネルを完成させたものの、レールなどの資材は確保できず、あえなく終戦を迎えます。その間、空襲で車両の多くを失うなどして、本線の運行すら難しい状態だった京急は、戦後も武山線の建設を再開することはありませんでした。

【地図】京急バスの「ドル箱」県道26号線と武山線計画

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コメント

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2件のコメント

  1. 武山の人たちは確かに横須賀中央に向かう人が多いですが、
    林の人たちは新逗子・逗子に向かう人が多いです。

    逗子の方が距離は遠いですが道路環境が良く、横須賀中央と逗子ではバス所要時間に大差なく、横浜・東京への所要時間が逗子経由の方が電車の距離が短い分早いためです。

    おそらく長井は逗子と横須賀中央、半々くらいだと思います(もっとも佐島まで行けばほぼ逗子です)。

    山科台などの途中の団地発着のを足してあたかも多いとか言われても説得力に欠けます。地元を理解してください。地元をお遊びのコマに使わないでください。不快です。

    • 元地元民ですが、地域の閉鎖性にウンザリしました。
      ここ最近の人口の急速な減少も、半島という地理もありますが、
      やはり閉ざされた環境というのも大いにあるかと思います。
      もし仮に開通していたら、他所から人口が流入してきて、
      少しはマシになったかもしれないと想像します。