実際に起きた「東京駅 超特急つばめ号殺人事件」現役首相が被害者 現場はいわくつき?

暗殺現場はかつて処刑が行われた場所だった

 現在の東京駅中央通路9・10番線ホーム下付近の柱に「浜口首相遭難現場」の解説板、付近の床には、銃撃された地点を示す菱形のプレート(中心にびょうの印)が埋め込まれています。大勢の人がそこを行き来していますが、解説板やプレートに気づく人はほとんどいないようです。

 ちょうどその地点は、先ほどの明治時代の地図を見ると、司法関連の施設が立ち並ぶなかでも、監獄署があった場所です。

 一般的な例として、当時の監獄では、そこで処刑が行われた所もありました。そうしたことを想像すると、この銃撃地点に土地の因縁のようなものを感じてしまいました。何か呪われた地点のような気がしたのです。

 監獄署と銃撃地点の関係は偶然のことで、私(内田宗治:フリーライター)の勝手な想像、妄想のたぐいですが、土地の歴史をたどっていくと、以前は現在とずいぶん違う施設があったことに驚いたり、いろいろと興味深いことに気づいたりすることを示したくて、述べてみました。

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東京駅の赤れんが駅舎南ドーム。写真正面奥が原首相遭難現場(2019年11月、内田宗治撮影)。

 東京駅では、1921(大正10)年11月4日、政友会京都支部の大会に出席のため丸の内南口改札に向かっていた原 敬首相が、青年に短刀で刺されその場で命を落とすという事件も起きています。政友会の強引な政策に不満を持ったという青年による暗殺でした。

 事件は19時20分に起きているので、当時の時刻表で調べると、原首相は19時30分発の急行神戸行き列車に乗車しようとしたようです。まだ超特急「燕」は登場していないので、この時代、京都まで最も速い昼間の特急でも10時間以上かかっています。そのため寝ているうちに移動できる夜行列車を選んだと思われます。

【写真】見逃し注意! 首相暗殺現場を示す床のマーク

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