日本の戦艦「初めて」3選 日本初の戦艦は? 初の旋回砲塔式戦艦は? 初の国産戦艦は?
生まれた時代が悪かった? 初の国産戦艦「薩摩」
日本が初めて独力で国内建造を果たした戦艦が「薩摩」です。建造したのは横須賀海軍工廠で、就役は1910(明治43)年3月25日でした。ちなみに同型艦の「安芸」は呉海軍工廠で建造され翌年の1911(明治44)年3月11日に就役しています。
「薩摩」は30.5cm連装砲塔を2基4門、25.4cm連装砲塔を6基12門、それぞれ搭載し、さらに副砲として12cm単装砲を片側6門ずつ左右合計で12門装備していました。
しかし「薩摩」が進水した直後に、イギリスで画期的な次世代戦艦「ドレッドノート」が登場したことで、「薩摩」は就役前に早くも旧式艦(前ド級艦)とされてしまいました。なお「薩摩」が就役した2年後の1912(明治45)年1月には、さらに強力な「超ド級」と呼ばれる戦艦「オライオン」がイギリスで就役しています。
そののち、日本やアメリカ、イギリスなどの海軍強国における際限のない軍艦の建艦競争を抑制するため1922(大正11)年に結ばれた「ワシントン海軍軍縮条約」によって、「薩摩」は廃棄されることになります。そして1924(大正13)年9月2日に、実艦標的として海に沈められました。
とはいえ、初の国産戦艦である「薩摩」は、それから17年後の1941(昭和16)年12月に誕生した史上最大の戦艦「大和」へとつながる礎を築いたともいえるでしょう。
【了】
Writer: 柘植優介(乗りものライター)
子供のころから乗り物全般が好きで、車やバイクはもちろんのこと、鉄道や船、飛行機、はたまたロケットにいたるまですべてを愛す。とうぜんミリタリーも大好き。一時は自転車やランニングシューズにもはまっていた。
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