旧日本海軍の記事一覧
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「日本の新鋭軽巡恐るべし」「特異な巡洋艦」世界を震撼させた「夕張」1隻で終わったワケ
旧海軍の艦艇のなかで軽巡洋艦「夕張」ほど、後の軍艦設計に影響を与えた艦はありません。しかも「夕張」は、軍艦のバイブル「ジェーン軍艦年鑑」で8年間も「特別説明」されるほど偉大な軍艦でした。それは何故なのでしょう。
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拿捕したアメリカ兵も驚愕 大型潜水艦「伊四百一」竣工-1945.1.8 目指した「東海岸」
旧日本海軍の潜水艦「伊四百一」が1945年の今日、竣工しました。アメリカ東海岸に到達しそこで水上攻撃機を発進、ワシントンなどを攻撃しようという壮大な作戦を目論んでいましたが、戦局の悪化から計画は頓挫しています。
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「多段空母」の歴史 なぜ「赤城」と「加賀」の甲板をひな壇にする必要があったのか?
空母が誕生してから100年。新しいものには付きものですが、その初期はかなりの試行錯誤がありました。多段式空母もそうした試行錯誤のひとつで、現代においてイメージされる空母とは、だいぶ姿かたちの違うものでした。
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伊→独→日に所属、三国同盟の象徴のような潜水艦 黒潮に沈んだあまりに数奇な運命
第2次大戦前に軍事同盟を結んでいた日本とドイツ、イタリアは、戦争により物資や人員の交流が困難になりました。そこで白羽の矢が立ったのがイタリア潜水艦。遠路日本まで来た2隻は、最後には日本海軍の潜水艦に国籍変更しました。
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軽巡洋艦「矢矧」が竣工した日-1943.12.29 最期は東シナ海、戦艦「大和」とともに
旧日本海軍の軽巡洋艦「矢矧」が1943年の今日、竣工しました。兵装は特に強化され、魚雷発射管は4連装を2基備えたほか、両舷側への攻撃を可能としました。最期となる出撃では、運命を戦艦「大和」とともにしています。
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空母「蒼龍」が竣工した日-1937.12.29 姉妹艦「飛龍」とは所々違う
旧日本海軍の空母「蒼龍」が1937年の今日、竣工しました。近代空母を目指し、艦載機数や対空兵装、速さなどを追求。ただ軍縮条約を巡り、姉妹艦「飛龍」とは大きさなどに違いが見られます。
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旧日本海軍の局地戦闘機「紫電改」が初飛行-1942.12.27 大戦後は零戦並みに有名へ
旧日本海軍の陸上戦闘機「紫電改」が1942年の今日、初飛行しました。飛行艇メーカーである川西航空機が開発、わずか約400機しか造られなかった希少機ですが、戦後、旧日本海軍を代表するメジャー機にまでなりました。
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「大和」だけじゃない 大艦巨砲主義の象徴&最も戦艦にこだわり続けたアメリカのナゼ
戦艦「大和」の建造中、山本五十六は「これからは海軍も空軍が大事で大艦巨砲はいらなくなる」といいました。今も「大和」=「無用の長物」という見方が支配的。しかし当時を振り返ると「大艦巨砲主義」にこだわったのは旧海軍だけではありませんでした。
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日本初の新造正規空母「蒼龍」が進水した日-1935.12.23 ミッドウェー海戦で海没
旧日本海軍の空母「蒼龍」が1935年の今日、進水しました。軍縮条約の狭間で、建造には何度も計画変更が加えられます。真珠湾攻撃に参加したことでも知られる空母は、勝敗の分岐点ともいわれるミッドウェー海戦で撃沈されました。
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日本外交の勝利? ロンドン軍縮条約での巡洋艦保有量 計算したらアメリカ上回った!
1930年に発効したロンドン海軍軍縮条約は、各種巡洋艦を始めとした補助艦艇の保有量にも制限を設けるものでした。日本は批はしたものの、したたかさを見せて制限以上に持ちました。その数はアメリカ以上だったようです。