歴史の記事一覧
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【廃線跡の思い出】沖縄県営鉄道与那原線 戦争の渦に巻き込まれた鉄路
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かつて沖縄にも2本の鉄レールを敷いた「普通の鉄道」が存在しましたが、戦争によって破壊され、そのまま消滅。それでも遺構がわずかながら残りました。
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【廃線跡の思い出】東武東上線 「幻の飛行場」計画で消えた旧ルート
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東京の通勤鉄道として大勢の通勤客を輸送している東武東上線。もちろん現役の路線で廃止の話が浮上したことなど一度もありません。しかし、戦時中の事情でルートが一部変更され、変更前の線路は「廃線」になりました。
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【都市鉄道の歴史を探る】浮かんでは消えた「都営地下鉄」構想 「営団」廃止の主張も
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東京の地下鉄は現在、民営9路線と公営4路線で構成されています。公営の地下鉄は終戦から15年後に開業していますが、実は戦前から計画と挫折を繰り返していました。どのような経緯で戦後まで「先延ばし」されたのでしょうか。
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機関砲から眺める航空兵器の脅威 陸自「L-90」高射機関砲が臨んだ実戦待機とは(写真12枚)
長らく使用された陸自の「L-90」高射機関砲には、2度の実戦待機経験があります。それらの史実を通し、戦闘機やヘリコプターの脅威を機関砲の側から眺めてみました。
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【廃線跡の思い出】越後交通長岡線 地形ごと消えたが「レバー」は残っていた
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廃止後しばらくはレールや架線柱などがほぼそのまま残っていた、越後交通長岡線の越後関原~大河津間。これに対して大河津~寺泊間は地形ごと消失した部分もありましたが、あるモノだけは廃止当時のまま残されていました。
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【廃線跡の思い出】越後交通長岡線 廃止後も「そのまま」放置は田中角栄の意向?
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長岡市の中心部と日本海側の寺泊を結んでいた越後交通長岡線。廃止から10年以上経過していた時点でもレールや架線柱などの施設が放置されていました。
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100年先の鉄道を見通した男がいた 国鉄「アイデアマン」木下淑夫が目指したもの
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訪日外国人観光客の誘致が叫ばれる昨今ですが、実は100年以上前にも訪日客の獲得をもくろみ、さまざまな施策を実施した国鉄職員がいました。彼はどのような経緯で「インバウンド」を推進しようと考えたのでしょうか。
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【廃線跡の思い出】越後交通栃尾線 歩きやすさと引き換えに失われたモノ
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「廃線跡散策」という鉄道趣味の一ジャンルにのめり込んだ鉄道ライターが、そのきっかけとなった越後交通栃尾線の思い出を語る4回目です。
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【廃線跡の思い出】越後交通栃尾線 単線なのに「複線」の鉄橋が
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「廃線跡散策」という鉄道趣味の一ジャンルにのめり込んだ鉄道ライターが、そのきっかけとなった越後交通栃尾線の思い出を語る3回目です。
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【懐かしの国鉄写真】複々線化の「前座」 中央線の高架化を祝った夜行準急列車(写真17枚)
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線路を高架化することで踏切を解消するプロジェクトは、大都市を中心に昔から行われていました。前回の東京オリンピックが開催される直前、高架線への切り替えが図られたころの中央線を昔の写真で振り返ります。