西武鉄道の路線 なぜ込み入ってる? 125年前は「国分寺発本川越行き」だった
東京の西部で複雑な路線網を展開する西武線。元々は違う鉄道会社がそれぞれの線路を敷設し、ライバル関係にありました。実業家の堤 康次郎によって各社は吸収または合併され、現在の西武鉄道に至ります。
ルーツは国分寺~本川越間
関東の私鉄のなかでも込み入った路線網を持つ西武鉄道。複数の路線が接近して並行していたり、同じ場所を目指していたりと、他の路線では見られない複雑さがあります。
それもそのはず、西武鉄道の路線網は元々、ライバル関係にあった複数の路線が合併を繰り返して成立したからです。西武の前身となった鉄道会社は長い期間、広いエリアで勢力争いを続けたため、より複雑な路線網になってしまったというわけです。
西武鉄道で最古の歴史を持つ区間が、国分寺~本川越間です。現在は国分寺~東村山間は国分寺線、東村山~本川越間は新宿線に分かれていますが、元々は1894(明治27)年に私鉄「川越鉄道」の路線として開業しました(全通は翌1895年)。ちなみに2019年3月のダイヤ改正までは、国分寺線に国分寺発本川越行きの列車が設定されていましたが、これは125年前の運転形態そのものだったことになります。
川越鉄道を熱心に誘致したのは製茶・養蚕が盛んな入間地域の人々でした。この計画に小江戸・川越の人々が合流。川越から入間川を経由して南下し、国分寺で現在のJR中央線に接続する路線として開業しました。
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