間宮羊かんを確保せよ! 旧海軍将兵が大歓喜した特務艦「間宮」 その表と裏の顔とは?

軍隊の士気を左右する要素のひとつは食事、旧日本海軍でその一端を担っていたのが給糧艦「間宮」です。将兵たちが血眼になって求めたという名物の羊かんなどが広く知られますが、実は食とは全く別の、とある重要任務も担っていました。

連合艦隊の「重要警護対象」

 旧日本海軍の給糧艦(後述)「間宮」は、船体中央に直立した1本煙突が外見上の特徴でしたが、この煙突が見えると海外泊地の艦隊は大騒ぎになりました。新鮮な食糧のみならず、羊かん、最中、饅頭など普段はあまり口にできない「し好品」にありつけるからです。

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1941(昭和16)年9月20日に撮影された、呉海軍工廠で最終艤装中だった戦艦「大和」の有名な1枚。第三主砲の奥に本記事の主役、給糧艦「間宮」が見える。

「間宮」が停泊するや否や、各艦から補給や給糧を担当する主計将校が交通艇で駆け付けます。し好品の量には限りがあったので、いかに多くを受け取れるか、全乗組員の期待を背負った各艦の主計将校の責任は重大でした。

「間宮」は一見して貨物船にも見える外観で、自衛するにも心もとない程度の武装しかありませんでしたが、一方で連合艦隊の「重要警護対象」でした。低速艦であり単独行動することが多かったのですが、航路の選定や護衛には特に念を入れられたといいます。泊地に入れば、投錨は最も安全な場所が割り当てられ、艦隊や地上砲台の対空、対潜警戒は一段と張りつめたものになりました。

 1923(大正13)年7月15日に竣工した「間宮」は軍艦ではなく、特務艦種の運送艦として登録されていますが、特に給糧艦とも呼ばれます。「給糧艦」、すなわち食糧の補給艦です。「腹が減っては戦もできぬ」という海軍の強い要望で、日露戦争後の明治から大正にかけての建艦計画である八八艦隊計画内で予算が付いていた能登呂型給油艦の1艦ぶんの予算を流用して建造され、基準排水量1万5000トンで就役、当時は世界最大の給糧艦でした。1941(昭和16)年12月5日には、さらに2隻目の給糧艦「伊良湖」も竣工しています。日本海軍も決して補給を軽視していたわけではなく、限られた予算をやりくりして、できることはやっていたのです。

【写真】最中や漬物も! こちらも人気だった給糧艦「伊良湖」

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コメント

1件のコメント

  1. こういう一点豪華主義みたいな兵站じゃなくて、もっと地道で継続的な兵站が必要だったんだろうなと思いました。