エアバスのヘリとコンビーフ どう関係? 日本の欧州製ヘリ市場を開拓した野崎産業とは

おなじみノザキのコンビーフ、そのメーカーだった野崎産業はかつて、日本にヨーロッパ製ヘリコプターの市場を切り拓いたパイオニアでもありました。大手商社がアメリカ製ヘリを輸入開始した1952年、野崎産業の戦いも始まります。

コンビーフといえばノザキ 実はヘリも売っていた

 おなじみ「ノザキのコンビーフ」は2021年現在、JFE商事の子会社である川商フーズによって販売されていますが、元々は1999(平成11)年まで存在していた、野崎産業という企業が開発し、販売を行っていた商品です。

 野崎産業は1950(昭和25)年に、初の国産缶詰コンビーフである「ノザキのコンビーフ」を発売し、日本におけるコンビーフの普及に大きく貢献した、おもに食品の輸入と製造を手がける企業ですが、実は同社は日本におけるヨーロッパ製ヘリコプターの普及にも、大きな役割を果たしています。

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ノザキのコンビーフ。長年親しまれたいわゆる「枕缶」(左)は2020年3月、新しいパッケージ(右)へリニューアルされた(画像:川商フーズ)。

 1952(昭和27)年、日本が再独立を果たし航空機の製造や運航を禁じた航空禁止令が解除されると、同時に民間用ヘリコプターの輸入も開始されました。

 当時、輸入されたヘリコプターは、1952年12月27日に発足した、現在のANAの前身である日本ヘリコプター輸送や、陸上自衛隊の前身である保安隊、防衛庁(のちの防衛省)の前身である保安庁などにも採用された、アメリカのベルが開発したモデル47、通称「ベル47」が多数を占めていました。

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2016年の「国際航空宇宙展」で展示されたベル47(竹内 修撮影)。

 構造が簡素で信頼性の高いベル47は川崎重工業でもライセンス生産されましたが、同機はピストン・エンジンを動力としているため速度や上昇高度などの限界値があまり高くなく、また人員や貨物の搭載量も小さかったことから、民間のヘリコプター運航業者は事業が拡大するにつれて、より飛行性能が高いヘリコプターを求めるようになっていきます。

【写真】戦後日本における最初期のヘリ「きたかみ」号

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