2万トン級戦艦を沈めた「豆粒」 イタリア極小魚雷艇の大戦果 海軍の金言に刻まれた勇気

使い方を変えて大成功したマイクロ武装艇

 しかし対潜水艦用として用いるには、搭載する225馬力エンジン2機が出す騒音が深刻な問題となっていました。なぜならば、潜水艦を探し出す(索敵)には、おもに潜水艦のスクリュー音をキャッチし、居場所を特定できる能力が必須だからです。

 そこでM.A.S艇は、対潜水艦用よりも対水上艦船用がメインとなりました。戦法も、敵艦船に対して搭載する魚雷で肉迫攻撃を加えてから、その脚力を活かして急速離脱するというのが編み出されるようになります。のちに船体が大型化し、魚雷艇タイプのM.A.S.艇20隻が発注され、1916(大正5)年には最初の部隊も編成、アドリア海で哨戒任務に就きます。

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第1次大戦中、M.A.S.艇はS.V.A.N.社以外にもバリエット社やエルコ社等で製造され、大型で40トンクラスの水雷艇に至る多くの改良型が就役した。写真はオルランド社製の「M.A.S.96」艇(吉川和篤所蔵)。

 同年6月には南部のブリンディシを出航した「M.A.S.5」艇と「M.A.S.2」艇が、アドリア海の対岸のドゥラッツォ(現・ドブロフニク)湾を襲撃。オーストリア・ハンガリー陸軍の汽船「ロクルム」(排水量920トン)を撃沈して、最初の戦果を挙げました。その2週間後にも、同じ場所で汽船「サラエボ」(排水量1100トン)を沈め、短期間で兵器としての有効性を確立しています。

 それから半年後の12月10日未明、アドリア海の最奥部といえるトリエステ港(当時はオーストリア・ハンガリー帝国領)へ侵入した、ルイージ・リッツオ中尉が率いる「M.A.S.9」艇と「M.A.S.13」艇は、オーストリア・ハンガリー海軍の海防戦艦「ウィーン」(排水量5800トン)を撃沈する快挙を挙げました。両艇は、闇に紛れてゆっくり近付くと、三重に張られた防御ワイヤーを水中カッターで突破、全速力で敵艦200mの至近にまで迫ると、リッツオ中尉が乗る「M.A.S.9」艇が魚雷2発を命中させ、「ウィーン」を港の底に沈めたのです。

【写真】「体格差」約1600倍 M.A.S.艇が屠った弩級戦艦

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コメント

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1件のコメント

  1. 色々不正確

    >イタリアが第1次世界大戦に参戦した1915(大正4)年5月~

    イタリア参戦時、4隻の内「セント・イシュトヴァーン」は未就役。

    >そのためイタリア海軍は~

    主に潜水艦の脅威が理由

    >敵であるオーストリア・ハンガリー海軍をアドリア海に面した各港に封じ込める作戦を取ったのです~

    オトラント海峡封鎖は、潜水艦の地中海への進出を防ぐのが目的

    >敵のオーストリア・ハンガリー艦隊に待ち伏せ攻撃を仕掛けます

    偶然遭遇しただけでしょう。