潜水艦でも戦艦と撃ち合えた? かつて潜水艦も「巨砲搭載」だったワケ 30.5cm砲も
軍事の世界も昔から費用対効果が重要なのは変わりません。20世紀初頭、潜水艦の主兵装は魚雷と艦砲でしたが、魚雷は1発が高価で搭載本数も少なかったため、艦砲も多く用いられ、最終的に戦艦並みの主砲を積んだ潜水艦が生まれました。
潜水艦搭載の魚雷は少数高価 コスパなら艦砲射撃
いまや軍用潜水艦の主兵装は魚雷とミサイルですが、第2次世界大戦直後まで魚雷とともに潜水艦の主武装だったのが機銃や艦砲でした。機銃は航空機が台頭し潜水艦の天敵になってから装備するようになった武器であり、艦船攻撃用としては魚雷と、そして艦砲が用いられました。
なぜ潜水艦なのに艦砲を装備したかというと、魚雷は搭載数が少なく、なおかつ第2次世界大戦までは、その国の最新技術の塊であり、精密兵器として高価だったからです。それでいて不発率、すなわち当たっても起爆しない確率が高く、搭載できる本数もそれほど多くありませんでした。そのため1発あたりが安く、多数の弾と装薬を艦内に積むことができ、兵器としての信頼性も高い艦砲が主武装として使われ続けたのです。
その概念の究極形が、イギリス海軍のM級潜水艦でした。このクラスは第1次世界大戦終結前後の1918(大正7)年4月から1920(大正9)年7月のあいだに3隻就役しましたが、最大の特徴は前部甲板に装備した12インチ(30.5cm)砲です。
この砲は口径(砲身内径)だけなら、後年「弩級」や「超弩級」などの単語の元になったイギリス海軍のドレッドノート級戦艦の主砲と同じ大きさであり、太平洋戦争開戦時に旧日本海軍が保有していた重巡洋艦(一等巡洋艦)各艦の主砲よりも大きなものでした。
イギリスのM級潜水艦は、全長90.1m、水中排水量1946トンとそれほど大きくない船体ながら、前述の30.5cm砲のほかに3インチ(7.6cm)砲も装備し、さらに魚雷発射管も艦首に4門ありました。
しかしM級は、小型な船体にアンバランスな大型砲を搭載したため、砲塔の旋回範囲は船体首尾線を0度として左右に7.5度ずつと非常に狭く、大きく旋回させたいときは船体そのものを動かす必要がありました。しかも揚弾装置は砲塔の外側、セイル(船体の塔のような構造物)部分にあるため、浮上後の射撃準備に非常に時間がかかる代物でした。
スルクフの艦尾魚雷発射管は4基じゃなく、3連装発射管1基と4連装発射管1基の2基。それも、水上艦のような旋回式の発射管で真横にも魚雷が撃てた。
ちなみに、砲台が設けられたのは第一次大戦の戦訓が大きく影響していたんだと思う。
実際、潜水艦史上最大の戦果を挙げた潜水艦U-35(撃沈総数224隻・535900総トン!)は戦果の大半が砲撃によるものだったりする。
M級の建造目的は水上艦と撃ち合うためではありません。
当時の行き詰まった戦局を打開するため、北海に面するドイツ海岸線に直接大群を上陸させベルリンを急襲する作戦に運用するためです。
そのための支援砲撃艦として建造されました。
その主砲は潜水しながら、砲身だけを出して撃てる様にも設計されています。
喫水の浅いハッシュハッシュクルーザーも同じ目的です