関西のJR「ご当地快速」の謎 大和路 紀州路etc ただの「快速」と何が違う?

ダイヤ改正の「華」、路線の「イメージ一新」の象徴的役割

 無印の「快速」とも運転形態が異なり、「速いのか速くないのかよくわからない」印象のある「ご当地快速」ですが、その歴史を紐解いていくと、それぞれの路線の「象徴的種別」としての姿が見え隠れします。

「ご当地快速」の先駆けとなったのが「大和路快速」で、今から32年前の1989(平成元)年3月11日のダイヤ改正で誕生しました。大阪環状線を直通運転する快速列車に付けられる種別名として、国鉄時代の観光PRキャンペーンで走った「大和路号」を引き継ぎ命名されました。

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「関空/紀州路快速」として活躍した223系0番台電車(画像:写真AC)。

 この年、国鉄時代の通勤車両のイメージを一新する新型車両「221系」がデビュー。同年4月10日にさっそく大和路線の「大和路快速」に投入され、最高速度120km/h運転が開始。奈良~天王寺間はわずか30分で結ばれるようになり、「大和路快速」は元号・平成の開始、JR発足とともに新時代の象徴となりました。

 次に生まれた「関空快速」は1994(平成6)年、221系に次ぐ近畿圏の新たな主力車両「223系」とともに誕生。今でこそJR京都線・JR神戸線などで「新快速」として活躍している223系ですが、最初の番台がデビューしたのは阪和線・関西空港線でした。

 その5年後、和歌山方面にも「紀州路快速」が誕生。快速と停車駅は同じでしたが、223系の導入と大阪環状線への直通開始で阪和線のイメージを一新しました。

「丹波路快速」は2000(平成12)年3月のダイヤ改正で誕生。国鉄車両の113系や117系が残っていた福知山線にも、ようやく221系電車が本格投入されることになり、その221系を使用した快速に「丹波路快速」の名前が与えられました。その意味合いは次代の車両にも受け継がれ、「シートの向き」による種別の使い分けが続いています。

「みやこ路快速」は翌年の2001(平成13)年3月のダイヤ改正で誕生。JR奈良線はこの改正で京都~JR藤森、宇治~新田の計8.2kmで線内初となる複線化、JR小倉駅の開業と、大きな変化を遂げました。その変化の象徴として、奈良線を背負う新たな最速達列車になったのが「みやこ路快速」です。停車駅は以前の快速を引き継ぐ一方、快速は停車駅を増やし"2軍"となりました。このことにも、「ご当地快速」にイメージ戦略としての効果が期待されていたことがうかがえます。

【了】

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コメント

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1件のコメント

  1. 本題からは外れますが、中央筋の特別快速の記述は正しくないでしょう。
    青梅特快は、設定開始時に国分寺を通過していました。他方、元祖の特別快速が新たに国分寺に停まるようになり、区別が必要だったからです。のちに前者も停車停るようになりますが、名称は変えられることなく現在に至っています。つまり、開設時の名残りです。
    誤乗防止策なら、快速、通勤快速、通勤特快でも中央/青梅を付けるべきですし、何より土休に設定されている五日市・八高線発に対して説明がつきませんよね。