イタリア空母「アクイラ」「スパルヴィエロ」はなぜ間に合わなかったのか その顛末
「アクイラ」「スパルヴィエロ」の最期 未成のまま幻の空母に
イタリア降伏後、ジェノヴァ港はドイツに占領され、同艦も接収されますが、ドイツ海軍ではすでに潜水艦中心の作戦が行われており、水上艦を利用した大規模な作戦はプランにありませんでした。その後も艤装は細々と続行されていましたが、爆撃による損傷も経験します。
やがて「アクイラ」は、連合軍のジェノヴァ港への侵入を防ぐため、閉塞艦として自沈させられることになりますが、それを阻止しようとしたイタリア共同交戦海軍(連合軍側になったイタリア王国海軍)がチャリオット特殊潜航艇で攻撃、損傷しその場で処分されることとなります。1945(昭和20)年4月19日のことでした。
「スパルヴィエロ」の方は、30機程度の艦載機搭載を目的に上部構造物を撤去するなどの改造を施しましたが、結局、完成間近となった1943年3月に建造中止となります。もはやイタリア軍に空母を運用する余力はありませんでした。「アクイラ」と同じくイタリア降伏後にドイツに接収された同艦は、姉妹艦よりも早く、連合軍のジェノヴァ港への侵入を防ぐ閉塞艦として扱われ、1944(昭和19)年10月5日に自沈させられました。
なお2隻の空母だけではなく、そこに搭載予定の艦載機の開発も難航しており、たとえ両空母が完成したとしても、積む機体のない状態だったかもしれません。結局、イタリア軍初の空母保有は戦後となりました。
【了】
Writer: 斎藤雅道(ライター/編集者)
ミリタリー、芸能、グルメ、自動車、歴史、映画、テレビ、健康ネタなどなど、女性向けコスメ以外は基本やるなんでも屋ライター。一応、得意分野はホビー、アニメ、ゲームなどのサブカルネタ。
コメント