イタリア空母「アクイラ」「スパルヴィエロ」はなぜ間に合わなかったのか その顛末
イタリア海軍といえば歴史も古く、2021年現在、複数の軽空母を保有する世界有数の組織ですが、WW2当時は世界の主要海軍における空母保有のトレンドに乗り遅れていました。挽回すべく計画した商船改造空母建造の一部始終を追います。
きっかけはタラント空襲 出遅れたイタリア早急に空母を欲す
2021年2月13日、イタリア海軍の軽空母「カブール」が、アメリカ ヴァージニア州のノーフォーク海軍基地へ入港したことがニュースになりました。搭載が予定されるF-35B戦闘機の運用訓練を行うとのことです。同艦以前にもイタリア軍は、1985(昭和60)年に就役した「ジュゼッペ・ガリバルディ」という軽空母を保有していましたが(2021年現在、ヘリ空母に転用中)、それよりも前となると、第2次世界大戦中にまでさかのぼることになります。しかも、結論からいえば未成艦でした。「アクイラ」と「スパルヴィエロ」という、2隻の商船改造空母です。
この2隻の空母は、「ローマ」と「アウグストゥス」という姉妹商船を元に開発が始まりました。日本の隼鷹型空母と境遇が似ていそうですが、隼鷹型が最初から有事に空母へ改造できる方式をとっていたのに対し、この「ローマ」と「アウグストゥス」はそのように事前準備された船ではなく、1940(昭和15)年11月11日深夜のイギリス海軍による「タラント空襲」がきっかけで、本格的に空母化の道に進むこととなった船です。
ブーツにたとえられるイタリア半島の、ヒールの付け根に位置するタラントには、イタリア海軍の一大拠点である軍港がありました。前述の空襲で、イタリア海軍は戦艦1隻沈没、2隻大破と痛手をこうむります。
それまでイタリア海軍は、作戦範囲の地中海にイタリア半島が突き出したようになっているため、地上基地から広範囲の航空支援が可能で、それほど空母の必要性を感じていませんでした。しかしタラント空襲により、敵の領域の深くまで航空機を送れる空母の利点を痛感したことや、北アフリカ向けの物資輸送船の損害などもあり、イタリア海軍は慌てて空母の開発計画を立ち上げることになります。
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