住所「北乗物町」一体どんな街? 乗りものとの関連はあるのか 実際に歩いてみた
神田駅の東側に神田北乗物町という住所があります。町名の由来に「乗りもの」は何か関連しているのでしょうか。また、北があるなら南もあるのでしょうか。現地を歩きつつ、由来を調べてみました。
昔は「神田南乗物町」も存在した
山手線や中央線などのJR線と地下鉄銀座線が乗り入れる神田駅(東京都千代田区)の東側に、神田北乗物町(かんだきたのりものちょう)という住所があります。町名の「乗物」に、鉄道やクルマといった「乗りもの」との関連はあるのでしょうか。実際に歩いてみました。
周辺は碁盤の目のようになっており、その一角にある神田北乗物町は短辺50m弱、長辺90m弱の長方形をしています。区によると、2021年5月1日現在で39世帯59人が住んでいるとのこと。街は狭い道の両脇に雑居ビルや個人商店などがひしめき合う、東京都心部でよく見る光景です。
町名は1869(明治2)年、周辺の3つの代地が合併した際に付けられました。江戸時代、周辺にはかご職人や馬具職人、また人力車などを引いて生計を立てる人が多く住んでいたといいます。鉄道などが普及する前、「乗りもの」とは専らかごや馬車。その「乗りもの」関連の仕事に従事する人が集うため、(神田)北乗物町と命名されたという説が有力です。
ところで、北があるなら南もあるのかと思いがちですが、2021年現在「神田南乗物町」は存在しません。かつて神田北乗物町が発足すると同時に、現在の神田金物通りを隔てた南側近辺が神田南乗物町とされましたが、1923(大正12)年の関東大震災によって神田界隈が大火災に見舞われると、その復興の過程で区画整理や町名変更が行われ、同町は消滅しています。
ちなみに、同じく神田駅付近にかつてあり、2006(平成18)年に閉館した交通博物館の住所は神田須田町です。
【了】
それは自動車でもなければ、戦車でも空母でもミサイルでもなかったということですな。