【空から撮った鉄道】原宿の顔であった木造駅舎の終焉 山手線原宿駅5年間の記録

山手線原宿駅。ファッションと流行発信地の最寄駅として、駅前は沢山の人で溢れています。その後ろにはいつも木造駅舎がありました。大正時代に建設された木造駅舎は2代目で、2020年3月に営業を終了し、2021年3月にほぼ解体されました。原宿駅の顔、木造駅舎を追憶します。

この記事の目次

・原宿駅は山手線で残る唯一の木造駅舎だった
・原宿駅舎の空撮は2016年から
・新駅舎が姿を現し木造駅舎は解体

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原宿駅は山手線で残る唯一の木造駅舎だった

 木造駅舎は少なくなってきたというけれど、全国津々浦々まだまだ存在しています。東京でもいくつか存在し、山手線にもつい最近までありました。それが原宿駅です。

 原宿駅は1906(明治39)年に開業し、関東大震災翌年の1924(大正13)年に2代目駅舎が竣工しました。この駅舎はイギリスの家屋を模したハーフティンバー様式の木造駅舎で、駅舎中心部に尖塔を配した姿をしていました。木造駅舎は戦火をくぐり抜け、戦後の高度成長期を迎え、やがて流行発信地の玄関として、様々なファッションに身を包む人々が駅舎を闊歩し、気がついたら都内最古の木造駅舎となりました。

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木造駅舎が現役だったころの原宿駅。渋谷方面から見る。屋根のないホームは明治神宮参拝の初詣客に対応する臨時ホームだった。E231系500番台の外回り電車が原宿駅を出発していく(2016年4月26日、吉永陽一撮影)。

 長らく原宿の顔であった木造駅舎は、ついに終焉の時を迎えます。2020年3月、隣接して3代目新駅舎が竣工し、役目を終えたのです。2代目木造駅舎の保存運動も起きましたが、現在の防火基準に満たないなどの理由で解体され、新たに2代目の外観を再現した建物が建設される計画です。再現する建物は防火基準を満たした建材を用い、解体された駅舎の資材を再利用し、2代目木造駅舎の姿へ近づけるとのこと。馴染みのあった駅舎が解体されたのは残念ですが、再現される姿が気になっております。

原宿駅舎の空撮は2016年から

 原宿駅舎の空撮はけっこう前から撮っているかなと思っていましたが、2016(平成28)年からの撮影でした。都内を空撮するときは原宿駅上空を通過することが多いので、撮影していたかと思い違いしていたのです。2016年からちょうど5年間の記録をお見せします。

 おぼろげの記憶なのですが、2016年になってしばらくして「どうやら原宿駅が改良工事されるらしい」と知り、馴染みの木造駅舎もどうなるだろうかと気がかりでした。空撮できるうちに、また工事の手が入る前の姿を記録しておこうと、「ドクターイエロー」撮影の前に寄り道して原宿駅を空撮しました。駅舎の記録のため、ぐるぐると2周ばかりするのみで、撮影時間もわずか。ちょうど内回りのE231系500番台が停車していました。

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東側から撮影した原宿駅。E231系500番台の山手線内回り電車が到着する。撮影したのは平日であったが、明治神宮御苑や代々木公園へ向かう人は多い(2016年6月8日、吉永陽一撮影)。
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旋回しながら連続で原宿駅を撮影した。原宿駅の駅舎は中心部に尖塔があるのが特徴で、先端には風見鶏が設置されていた(2016年6月8日、吉永陽一撮影)。

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Writer: 吉永陽一(写真作家)

1977年、東京都生まれ。大阪芸術大学写真学科卒業後、建築模型製作会社スタッフを経て空撮会社へ。フリーランスとして空撮のキャリアを積む。10数年前から長年の憧れであった鉄道空撮に取り組み、2011年の初個展「空鉄(そらてつ)」を皮切りに、個展や書籍などで数々の空撮鉄道写真を発表。「空鉄」で注目を集め、鉄道空撮はライフワークとしている。空撮はもとより旅や鉄道などの紀行取材も行い、陸空で活躍。

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