鬼滅の刃ラスボス・鬼舞辻無惨に突っ込んだ自動車の正体は? 大正時代の超高級品のハズ

鬼殺隊はそんなにお金持っていた?

 T型フォードは1908(明治41)年に生産開始。エンジンは水冷式直列4気筒で、排気量は約2900cc。現在につながる大量生産方式の契機となったモデルで、実用的ながら価格水準は大衆の手の届く範囲ということで、当時の大ヒット車となり、わずか20年ほどで1500万台以上が生産されました。いわば、アメリカにモーターリゼーションをもたらしたクルマとも言えるでしょう。

 さてこのT型フォードの走行性能はどうだったのでしょうか。最高速度はモデルによって違いますが、およそ65~70km/h。作品では「死ねェェ!!」と隊士がアクセル全開で衝突していますから、鬼舞辻無惨にそこそこのダメージを与えたことが予想できます。

 ところで、そもそもこのクルマは誰のものだったのでしょうか?

 もちろん前述のとおり、当時は富裕層しか自動車を持つことができませんでした。鬼殺隊を運営していた「産屋敷家」は資産があるという記述もありますから、鬼殺隊自体が所持していた可能性が高いです。

 1912(大正元)年には、上野駅前と新橋駅前で6台の輸入車による日本初のタクシーが始まり、その後東京駅などでも走り出しました。もしかしたらタクシーのオーナーが、当時入手も難しかった貴重なT型フォードを、世界を守るため鬼殺隊に提供したという可能性も考えられます。もしそうなら、隊士の慣れない運転をオーナーがヒヤヒヤしながら眺めていた…という裏場面もあったのかもしれません。

【了】

【鬼殺隊が突っ込んでいった「アメリカ製大衆車」の姿】

Writer: 別府儀三郎

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コメント

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1件のコメント

  1. マイナーな時代設定ならではの考察だ!