戦法ただ一つ「体当たりで沈めろ」ツノを持つ異形の「衝角艦」砲撃戦時代になぜ蘇った?
現代に受け継がれた衝角の副産物
衝角艦が時代遅れになりつつあるなか、この艦種にこだわったのがアメリカでした。「ポリフェムス」に触発されたアメリカ海軍は、1892(明治25)年に「カターディン」を就役させます。この艦は「ポリフェムス」よりも徹底しており、魚雷はなく、武器は衝角だけでした。
「カターディン」は、1898(明治31)年にアメリカとスペインが戦った米西戦争においてアメリカ東海岸の警戒任務につきます。しかし、結局はアメリカも衝角艦が時代遅れと認め、米西戦争の終結とともに「カターディン」は廃艦となり、標的艦として海没処分されました。
「カターディン」を最後に衝角艦の時代は終わりを迎えます。しかし、軍艦の体当たり戦法は1914(大正3)年に起きた第1次世界大戦、そして1939(昭和14)年に起きた第2次世界大戦でも行われました。とくに駆逐艦が浮上中の潜水艦を体当たりで攻撃した例がいくつもあります。
なお、衝角には思わぬ副産物がありました。通常の船は波を切り分けて進むため、波の抵抗で速力が上がりませんが、衝角艦の艦首形状は波の抵抗を軽減するのに適していたのです。これに気付いたアメリカ海軍は、1920年代に衝角に似た「バルバスバウ(球状艦首)」を採用しました。旧日本海軍でも、これを導入したのが大和型戦艦です。
第2次世界大戦後には、バルバスバウの有効性は広く認められ、現在では軍艦のみならず民間船にも数多く使われています。そう考えると、バルバスバウは「現代の船にもたらした衝角の遺産」といえなくもないでしょう。
【了】
Writer: 時実雅信(軍事ライター、編集者、翻訳家)
軍事雑誌や書籍の編集。日本海軍、欧米海軍の艦艇や軍用機、戦史の記事を執筆するとともに、ニュートン・ミリタリーシリーズで、アメリカ空軍戦闘機。F-22ラプター、F-35ライトニングⅡの翻訳本がある。
これ海上保安庁の巡視船に向いている装備ではないかと。
体当たりで動けなくして乗り込んで拿捕。
古代ギリシアの三段櫂船でも体当たりして乗り込んでたし。
蒸気軍艦での衝角復活の理由が書かれていないので補足。当時はまだマトモに作動する徹甲弾がありません。なので大口径主砲の着弾衝撃でリベット止めされた装甲の剥離を狙っていました。が、当時は揚弾機(艦底の弾薬庫から主砲直下の換装室まで弾を運ぶ、厚い装甲に守られている)や装填用のラマー(砲身に弾を装填する棒、のちには折り畳み式のチェーンラマーに進化)が未熟で一々砲塔と砲の角度を装填位置に戻す必要があった。これに5分近く掛かる。が、当時の船も12ノット前後は出しているので、1,2発の射撃に耐えれば衝角突撃が可能。有名なのがイタリア装甲艦とオーストリアハンガリー帝国の木造艦主体の艦隊が交戦し、予想に反して木造艦の衝角突撃によりオーストリアハンガリーが勝ちます。以降、装甲艦に最も有効な戦術となりました。日清戦争の清国の戦術は当時として最も当たり前の物です。が、自艦隊より速度で上回る相手に実施した事、日本海軍が新兵器、速射砲(薬莢式の今でいう普通の大砲、当時は砲弾と装薬を別々に装填。今でも大きな大砲はコレ)を大量装備して非装甲区画の破壊を狙って戦った為、日本が勝利した。