砲塔数は近代戦艦史上最多! モンスター戦艦「エジンコート」の流転 あえなくスクラップ
旧日本海軍の戦艦「大和」は主砲塔を3つ、戦艦「金剛」や「長門」は主砲塔を4つ装備していました。しかし地球の反対側、イギリスにはなんと主砲塔を7つも搭載した戦艦がありました。いったい、どのような経緯で生まれたのでしょう。
南米の大国が求めた「一点豪華主義」戦艦
航空機が未発達だった19世紀末から20世紀初頭にかけて、戦艦は国家にとって重要な戦略兵器でした。だからこそ「砲艦外交」などという言葉も生まれたのです。
戦艦は、質と量の両面において各国の軍事力を図る指標といえるもので、海軍力の象徴、いわば国の「顔」ともいえる存在でした。ゆえに、よりたくさんの主砲を積み(大火力)、より分厚い装甲板を備え(重防御)、より大馬力の主機を載せて足が速い(高速性)ことが求められます。
有力な戦艦をどれだけ持っているかは「国力の象徴」です。そのため中堅国家も、経済的な無理を承知でわずかな隻数を保有するようになります。しかし、そういった国々は、当時の先端技術の結晶である高性能戦艦を自国では建造できないため、欧米列強に発注しなければなりませんでした。
20世紀初頭、アルゼンチン、ブラジル、チリのいわゆる南米主要3国は、勢力争いを繰り広げていました。そのなかでブラジルは、頭ひとつ抜きでようとイギリスのアームストロング社に1隻の戦艦を発注します。それは、12インチ(30.5cm)連装砲を7基、計14門、副砲として6インチ(15.2cm)単装砲を計20門という、近代史上最多の主砲数と副砲数を誇る戦艦でした。
ブラジルは国力的に数多くの戦艦を保有することは無理でした。そこでいわば“てんこ盛り”の1艦を造ろうとしたのです。この戦艦は「リオ・デ・ジャネイロ」と命名され、まさに「一点豪華主義」のような存在になる予定でした。
多砲塔が廃れていった理由の一つに、バイタルパートの長大化があったはず。必然的に船体は重くなり、速力が落ちるのだ。三連装砲塔を作る、そして運用する技術も発達してゆき、多砲塔にする必要がなくなっていった。