太平洋戦争で日本軍を攻撃した「ドローン」があった 実績80年 ルーツは超ハイテク兵器
最初のドローンはレーダーとTVカメラの無線誘導
太平洋戦争の初期、アメリカ海軍が開発した最初の無人攻撃機がTDN-1でした。同機は、無人爆弾ともよばれ、爆弾や魚雷の搭載が予定されていましたが、なにより画期的だったのは、レーダーとテレビという当時の最新技術が組み込まれたことです。レーダーは第2次世界大戦直前にイギリスで実用化され、戦争中は日本も含めた各国で活用されましたが、TDN-1は無人機ながらそれを搭載していました。
1930年代に開発されたテレビは、1936(昭和11)年のベルリン・オリンピックにおいて試験放送が実施され、大戦が勃発したのち、アメリカやドイツの一部で本放送が始まっています。
いわば、当時の最新テクノロジーをTDN-1はいち早く取り入れ、無人航空機の制御技術として実用化していたということですが、アメリカ軍はこれら最新技術を使った無線操縦の無人攻撃機を、「襲撃」を意味する単語を用いて「アサルト・ドローン」の名称で開発しました。
TDN-1は、太平洋戦争が始まった翌年の1942(昭和17)年に早くも実機が完成しています。機体は木製で脚は固定式、試験飛行用に人が乗る操縦席がありました。
試験飛行はアメリカ本土にある五大湖で、海軍の艦載機パイロットが発着艦の訓練を行っていた練習空母を用いて実施されました。2000ポンド(約900kg)爆弾か魚雷1本を積む計画でしたが、速力が233km/hと低く、機体の設計も旧式なため、結局、実戦には使用されませんでした。
ただ、アメリカ海軍はTDN-1の開発と並行して、民間航空機メーカーにもドローンの製作を依頼していたのです。
V-1基地攻撃にも使用されたけど失敗した。そのときに犠牲になったパイロットはアメリカ大統領ジョンFケネディの兄貴だ。