憧れの存在70年「JALファーストクラス」はどう変遷? 振り返ればわかる“日本の見られ方”
創立70周年を迎えたJALの客室のなかで、最高位グレードを維持し続ける国際線の「ファーストクラス」。これまでどのような歴史があったのでしょうか。さまざまな変わり種が出ているなか、一貫しているポイントもありました。
最初は「ファーストクラス」のみだった?
創立70周年を迎えたJAL(日本航空)の国際線における客室の歴史上、常に最高峰に位置しているのが「ファーストクラス」。これより上位のクラスは設定されていません。
1954(昭和29)年2月2日、JALは36人乗りのプロペラ旅客機、ダグラスDC-6Bを用いて、戦後初の日本の航空会社による国際線定期便である羽田~ウェーク島(アメリカ)~ホノルル~サンフランシスコ線へ就航しました。このときの客室は、ファーストクラスのみの構成でした。その2か月後、現在のエコノミークラスに相当する「ツーリストクラス」が設定され2クラス構成となったのです。
以降、JALの国際線「ファーストクラス」はリッチなサービスを提供する“庶民の憧れの的”として君臨し続けます。
同社が初めて導入したジェット旅客機「ダグラスDC-8」のファーストクラスは、壁に飾られた扇に象徴される装飾や、伝統的な老松紋があしらわれた西陣織のシートカバーなど和テイスト全開な内装。「空の一流ホテル」をテーマとする機内ラウンジも設置されました。
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