なぜ「ダグラスDC-6」 は「キング オブ レシプロ旅客機」になったのか?-1946.2.15試作機初飛行

日本でもおなじみDC-6なぜここまで売れたのか?

 DC-6は、旅客機の名門ダグラス社らしい堅実で丈夫な設計と、その高い信頼性をもと、戦後の急激な民間航空需要の回復も手伝って、順調に発注を得ます。ベースとなった先代機DC-4と比較すると時速145km速く巡航でき、1350kg多くの貨客を搭載できたとのこと。

 とくに、路線によっては大西洋横断路線も運航できる、最大およそ7500kmもの長い航続距離は大きな強みで、ライバル機であるロッキード社の「コンステレーション」とともに、長距離国際線の主力旅客機のひとつとなります。

 とくにDC-6初期タイプからさらに胴体延長などを図った「DC-6B」は、その性能の高さから、「DC-6=レシプロ旅客機の最高傑作」の名を知らしめる機体となりました。

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DC-6のベースデザインにもなった「ダグラスDC-4」(画像:サンディエゴ航空宇宙博物館)。

 このDC-6B、日本ではJAL(日本航空)が1954(昭和29)年2月2日の国際線定期便開設(東京~サンフランシスコ線)に備え導入し、1969(昭和44)年まで使用しました。JALでも同機は1950年代の国際線主力機で、チャーター機1機を含め計10機を保有していたとのことです。同機によって開設された航空路線は、東京~シンガポール、台北、そして那覇(当時は海外路線)……などなど多方面におよびます。

 ちなみにJALのDC-6Bは、1960年代に入り、国際線主力機の座をジェット旅客機に譲ることになった後、とあるユニークな使われ方をすることになります。「夜行列車」ならぬ、国内線の夜行便への投入です。同便は「オーロラ」「ムーンライト」と呼ばれ、当初これらの便はDC-4で運航されていましたが、その後国際線主力機から退いたDC-6B、DC-7Cといったプロペラ機が、“2代目夜行飛行機”として担当しました。

【了】

【…やじろべえ?】形も対照的? DC-6のライバル「コンステレーション」

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