ダグラス社の超傑作機「DC-9」 ”経営傾くほど売れた”のはナゼ? 特徴的な「リアジェット」は利点多数!

なぜ&どれだけDC-9系は売れたのか?

 DC-9が初飛行した当時、欧州ではシュド・カラベルやBAC 1-11といった双発短距離用ジェット機が出現していたのに対し、アメリカではライバルのボーイング社が737を開発を進めているさなかでした。そこでDC-9は開発の本格スタートとなった1963年から、初飛行まで2年弱というハイペースで開発が進められ、1965年末に就航。エンジン数が少ないなどから経済性に優れ、市場ニーズにもあった機体として顧客からも人気を博しヒット作に。製造機数は1000機近くにもなり、いくつも派生型が生み出されます。

 ただ、当時はベトナム戦争による資材不足のなか、DC-9は想定を上回る売れ行きとなってしまい、製造が間に合わず。こうしたことが一因で同社は倒産寸前となり、1967年にはマクダネル社と合併。マクダネル・ダグラス社として再出発することになりました。DC-9は「売れすぎて会社が倒産寸前に追い込まれる」という、民間航空業界ではある種の”伝説”を作ってしまったわけです、

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ボーイング717(乗りものニュース編集部撮影)。

 DC-9は会社名が変わったあとも、シリーズ派生型の開発が続けられました。合併したことで型式のアルファベットが「MD(マグダネル・ダグラス)」にかわったものの、DC-9のベースデザインそのままに、エンジン、機体設計の変更、当時の先端技術を盛り込んだ発展形「MD-80シリーズ」は5つの型式で、計1100機以上のヒットを記録。同社のなかでも屈指のロングセラー機となりました。

 DC-9の派生型はマクダネル・ダグラス社がボーイング社に実質吸収された1996(平成8)年のあとも開発が進められ、「MD-95」は「ボーイング717」と型式名を改称。717は唯一の「ダグラス生まれのボーイング」、かつ「最後のDC-9派生型」となりました。

 なお、DC-9の各種派生型はTDA(東亜国内航空)、そしてTDAの国際線開設にともなって社名変更をしたJAS(日本エアシステム)で長年主力機として使用。JASがJALと合併したあとも、一部の機体がJALへ引き継がれました。一方最終派生型の「ボーイング717」は国内航空会社での導入はなく、日本ではレア機のひとつとなっています。

【了】

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